現在は雑誌どころかネットで大抵の情報がメチャリアルタイムで入手できます。
これは大変ありがたいことであるわけですし、躍起になって調べている自分が居るのも事実ではありますが、反面知らないことを思わぬ機会に知ることの喜びが失われて来ている気もしてならないのです。
事前知識無しで偶然出くわして興奮したという経験はどなたでもあることでしょうが、自分が一番印象に残った出会いは彦根の駅で発生しました。
近江鉄道を訪問した1980年ごろには趣味の対象の主力である国鉄や大手私鉄の情報は月刊誌のおかげで既に相当のものが事前に入手できるようになり、行く前から大体の現地の様子は把握してから行ける時代になっていました。
しかしながら、地方私鉄については今のような情報誌での特集も大変少なく、最低限の情報しかない場合もたまにありました。
近江鉄道については鉄道ピクトリアルの『私鉄車両めぐり』で現在走っている大方のラインナップは把握しており、大半が自社製の貧相な湘南顔の電車かその進化形の貫通型の電車で占められており、それに小田急の1600系のお下がりが華を添えるような状況でありました。
近江鉄道最初の訪問は1980年の夏休みでした。
彦根の車庫にはそのような電車に混じって京急の400形を真っ二つに切った電車や解体請負で引き取ったまま存置されていたクモニ13の残骸を見ることができましたが、このあたりまでは事前に分かっていたことを実際に確認する感じで見学を終えました。
そして、車庫の方にお礼を言って国鉄線の駅のホームで電車を待っていた時に、自分としては信じられないものが米原方向からやって来たのです。
モハ9 80.8.22 彦根 |
こちらがその電車です。
これは西武池袋線の前身の武蔵野鉄道が発注した大正15年製のいかにもな田舎電車風の電車で、私が偶然見た当時でも相当のご高齢でした。
こんな電車が現役で走っているということは全くのノーマークでした。
その分出会った時の驚きは大変大きなものでした。
冷静に考えれば、私鉄車両めぐりの記事などから想像ができたのでしょうが、昔の電車は自社製造の車体にどんどん置き換えていくという方針の近江鉄道にあってこんな古い電車がそのままの姿で現役で客扱いをしているとは夢にも思わなかったわけです。
モハ9 80.8.22 彦根 |
クハ1208 80.8.22 彦根 |
クハ1208 80.8.22 彦根 |
この時撮れたカットはこの4枚です。
電車は眼前を走り去って貴生川へ行ってしまいましたので正にほんの一瞬の出会いでしたが、その時のシーンは今でも目に焼きついています。
モハ9 88.12.10 彦根 |
次に出会った時は近江鉄道お得意のガラクタ置き場に鎮座していました。
見るからにもう動くことはできない姿でした。
モハ9 88.12.10 彦根 |
何時が最終運用日であったかは知る由もありませんが、車内は現役時代のまま何年も時間が封印されているかのようでした。
既に屋根はひび割れて雨漏りが床に水溜りを作っていました。
悲しい姿ですね。
クハ1208 88.12.10 彦根 |
知る喜びというのは趣味でも仕事でも生活面でもある意味基本であると思いますが、時として知らない方が幸せであったということもありますよね。
知りすぎることで不幸になることもあります。
それはよく仕事で経験することです。
ある意味知らなくて能天気の方が上手く行くってことは残念ながら割とある気がします。
この電車の出会いはそんなに重い話とは別物ではありますが、知らないことを発見した時の喜びは大きなものですね。
知らないことも時には良いものだと感じた一瞬でした。
一年の計は元旦にあり、と言われるように今年の自分がどのような風に生きていこうかと考えた時に思い出したことです。
2015年、時間に流されず、自分の知らないものにも挑戦する一年として、日々を大事にして過ごしていきたいと心に誓っちゃたりしました。
12 件のコメント:
おっちゃん、あけましておめでとうございます(核爆)!
いやー。
新年らしい、前向きな、すばらしい記事をありがとうございます!
こちらはあいかわらず失笑ブログを続けるしかありません(大糞)・・・・
それにしてもかっこええですモハ9。これもやはり川造タイプとよぶんでしょうか?
しかし、近江のことですから今も彦根を探したら朽ちてるまま放置されてたりしないかなあ(核爆)。
あそこ、ミュージアム開催日に、一回行ってみたいです。
こんにちわ
実はワタシにとって「知らない幸せ」のほとんどはchitetsuさんの記事で「後悔」へと変わっております。
貴生川、中津川、柏原(関西本線)・・・どれも汽車撮影でよく行きましたが、架線柱があったことしか記憶にありません。70年くらいですから、その頃にはもっといろんなやつらがいたはずです。
でも後悔してもどうにもなりませんよね。
chitetsuさんが当時思わぬ出会いをされたように、ワタシは、chitetsuさんの写真で思わぬ出会いをさせていただいてます。寝そべって見ておりましたが、正座してもう一度見させていただきまーす
最近では西武3000系の譲渡がありましたが、大規模な改装行わない限り近江での再起は困難かと想像されます。
2000系の2コテ出物があるまで待てない、台所事情があるのでしょうか?
彦根はすっかり綺麗に整理され、怪しいモノはほとんどなくなったようですね。以前ならMT15だとかAK-3が地べたに転がっていたのですが。
近江犬殿
あけまして開けましておめでとうございました〜。
近江鉄道の彦根は正にガラクタ置き場で、色々なものが放置されていた辺りは鹿児島交通の加世田と似ていたかもです。
じぶんも朽ち果てる前にミュージアムに行ってみたいです。
青春Mさん
・・と言うことは、私が微妙な世界にお招きしているという事かもしれませんですね〜。
どうぞ、ゴロゴロモードでお楽しみ下さい〜!
12号線さん
3000系は仰るように相当いじらないと使い物にならない気がします。
もしかすると部品取りで買ったのでしょうか?
モハメイドペーパーさん
彦根の車庫は随分綺麗になっちゃいましたね。
以前のガラクタ置き場の様相は殆んど無くなって普通に近づいた気がします。
最近はネットの情報を見て、目的の列車のやってくる時間に合わせて現れ、撮ったらすぐ帰るという人が多いですね。
ところで、ローカル私鉄車輌20年西日本編 (寺田裕一著)によれば、モハ9は1980年に保留使いで運用離脱とあるので、chitetsuさんとの出会いは現役最後の時期だったと思われます。
写真を見ると、解体した旧形国電から流用したと思われるDT12形台車になっていますが、車体乗せ替え(鋼体化)時のKS33Lからの交換時期についてはわかりませんでした。
元・いきもの部長さん
そうですね、みんなネットで情報収集してからやって来るからでしょうね。
この間の私の中央東線のスカ色115もそのおかげで撮れているので、何とも言えないところもあります・・。
ところでモハ9はそのお話からするとギリギリ見られた訳ですね。台車が国電のもので上回りよりも立派でちょっと違和感がありました。
あけましておめでとうございます!
今年もたくさんの興味深い記事、よろしくお願いします!
この旧型電車、旧型にしては側窓が一枚降下型?なんですね。その時代の
車両はナマでは見られない年齢なのですが、この当時、どういった経緯で一枚窓、あるいは二枚窓なんでしょうか?
なんだか私も、米原で一瞬だけ撮った変な車両の写真があったはずなので、今度掘り出して調べてみようっと(笑)
偶然の出会いほど、記憶にはよく残っているものです。
廃止数日前の尾小屋で、地元の幼稚園生を招待した臨時列車はDLにキハ、その後ろに客車が2両という大盤振る舞いでした。
トンネルから出てきたときには鳥肌立ちましたなww
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