デハ8540 15.1.24 等々力 |
週末の『対岸の台湾』での遅れ馳せ新年会(こちら⇒対岸の台湾)の折に、久しぶりに等々力付近を散策しました。
まだ緑の電車が主力であった時代から何回か訪問した時の画像と比較しながら写真を撮ってみました。
15.1.24 等々力 |
現在のホームの様子です。
93.3.11 等々力 |
こちらは1993年当時の等々力駅ホームです。
バリアフリー化工事をされた以外は大きな変化は無いようです。
今となっては懐かしい駅風景が残っています。
15.1.24 等々力 |
等々力の駅は上下線の間に駅舎がある希少な実例です。
そして、駅入口が上下別々の踏切で分離されて、尚且つ駅に用のない人の通り抜けもできるという珍らしい構造をしています。
クハ8001 15.1.24 等々力 |
なので、このような写真が撮れます。
こちらは上り線の構内踏切から下り電車を撮ったものです。
15.1.24 等々力 |
現在の駅前の通りにはオサレなレストランや成城石井などがありますが、以前はと言うと・・・
93.3.11 等々力 |
こんな感じで、全然オサレではありませんでした。
同じ場所とは思えませんね。
クハ9109 15.1.24 等々力ー上野毛 |
こちらは等々力渓谷沿いに走る現在の姿です。
デハ3462 79.11.21 等々力ー上野毛 |
こちらは1979年当時の同じ場所です。
オールM5連の3450形が活躍を続けていました。
障害物が多くて現在の写真は全く同じには撮れませんでした。
デハ3450 79.11.21 等々力ー上野毛 |
振り向いて撮ったトップナンバー・デハ3450。
現在は邪魔者だらけでマトモに近い写真は撮れませんでした。
デハ8540 15.1.24 等々力ー上野毛 |
踏切の反対側から撮った8500系。
デハ5004 79.11.21 等々力ー上野毛 |
同じ場所の昔です。
青蛙が懐かしいです。
クハ9007 15.1.24 等々力ー上野毛 |
踏切から反対の上野毛側を向いて撮りました。
以前8090系を撮った記憶があったのですが、どうも印象が違います。
クハ8081(左)、クハ8095(右) 90.2.24 等々力ー上野毛 |
これがその画像です。
やはり場所が違いました。
もう少し上野毛寄りの場所ですが気付きませんでした。
クハ8003 90.2.24 等々力ー上野毛 |
撮影当時はなんとも思わなかった8000系ですが、今見るとそれなりに良いですね。
デハ5015 79.11.15 等々力ー上野毛 |
同じ場所でのアオガエル。
沿線は緑が多いですね。
クハ9104 15.1.24 等々力ー上野毛 |
上野毛に近づくと切通しになります。
柵にガードされてしまい、コンデジの液晶を見ながらようやく撮りました。
デハ5008 79.11.15 等々力ー上野毛 |
こちらは1979年の同じ場所です。
左の家は変わっていないようでした。
15.1.24 等々力ー上野毛 |
おしまいです。
12 件のコメント:
等々力駅が変わらないのは、今となっては明らかに不要な地下化待ちだからです。
高い金かけて〜某アーキテクト様ご設計の馬鹿駅舎も含む〜風致損なった上野毛の待避線なんか朝ちょっと使うだけですから、この上環境破壊の恐れ大な等々力地下化なんかやめて欲しい、どうしてもというなら地上のまま下り線側に一本通過線つくるのは簡単です。
すみませーん。記事みたいに長くなっちゃった。
先輩!五枚目の写真、まだ赤帯の8000系が走ってんのかと思いました!!
Cedarさん
等々力駅地下化って、今でも考えているんでしょうか?
全く無意味にしか思えません。
今の姿が一番合理的と思います。
波多野さん
そうですね、今でもやって来そうな気がします。
平成の最初の頃、等々力勤めだったので八百屋のある踏切の風景、懐かしいですね。
夕方になると、もうもうと煙を上げてる焼き鳥屋がホームから見えるところにありました。
あの頃は急行運転の構想がもうあって、最初は構内に余裕のある等々力に追い抜き線を作る予定でした。
等々力渓谷の不動の滝のところにかかる木橋は自分が設計しましたー♪
等々力駅の駅舎のコメントは、フライングしちゃいましたね。
すみません。
構内踏切が駅舎の中を通っている点が他の駅と異なっています。
東急タイプのステンレスカーが走る静岡鉄道にもこのような駅があります。
御門台と春日町で、こちらは駅舎と構内踏切の間に線路と直角となる遮断機がセットされています。
http://oomatipalk2.blog91.fc2.com/blog-entry-126.html
http://www.geocities.jp/tetsudokenkyu/shizutetsu-sta_kasuga.html
8090系は写真にある西武411系のような前面連続窓が贔屓だったのですが、残念なことに運転シミュレータを除いて8950系のような独立窓にになってしまいました。
8000系は貫通扉上部にRがない1次車ですね。
製造時は非冷房で7200系と同じタイプのベンチレーター付でした。(2次車以降はキセのみの冷房準備車)
また、車内でも荷棚受けとつり革のブラケットが一体化した7200系と同じタイプでした。
赤影さん
大井町線の急行運転計画は結構以前からのものだったようですね。
でも実際に急行運転されると結構違和感感じました。
等々力渓谷、赤影作品見にもう一回行ってみなくちゃ。
元・いきもの部長さん
いえいえ、次の記事は予測できませんので結構ですよー。
静岡鉄道にこんな駅あったなんて、乗ってるくせに気付きませんでした。
遮断機の向きがユニークですね。
私が世田谷区民であった頃、東京駅八重洲口から六本木~南青山~渋谷~三軒茶屋~駒澤と経由して等々力まで行くバスがあり、都バスと東急で相互乗り入れしていて、渋谷駅を通り越して都心側まで乗ったこともありました。
元世田谷区民の私には、子供の頃、「等々力」でなぜ「とどろき」と読むのか不思議で理由がよくわかりませんでした。ただ、「とどろき」の音の由来は、等々力渓谷に今もある滝の音が「轟く」ことに由来し、等々力不動の山号も「滝轟山」となっています。「等々力」という地名は対岸の川崎市にあって、元は同じ村だったのが多摩川の氾濫と改修工事で取り残された地域であると知ったことは、以前にも「上野毛」のところで書き込んだ記憶があります。
闘Qは、等々力駅をいじくるよりも、ホームが短く電車がはみ出し、入り口も狭くて余裕のない九品仏駅を、立体化が無理なら反対側の踏切を潰してホームを延ばし、出入り口も奥に引っ込めて「たまり場」を作るといったような改良工事をやることのほうがまず先でしょう。
渋谷も上野毛もいまいち評判が芳しくないようですが、その「行燈只男」氏、どうも「鉄」系の建物には向いていないような気がします。
伊豆之国さん
等々力はやはり轟から来ていたのですね。
多摩川を挟んで両側に同じ地名が存在するのも解せますし興味深いですね。
TQの駅に関わる施策はどうも乗客不在のものが多い気がします。
あの設計者は
乗客の動線なんて考えて無い気がしますね。
等々力駅近くに50年住んでいます。
物心ついたときからこの駅舎だった記憶があります。”オサレ”な八百屋の記憶ありますよ!道路からゆるい階段5~6段でプラットホームなのでとても楽チンです。このままでいて欲しいです。
小学校のころは4両編成で、鷺沼から2両になって長津田まで行ってましたね。そのころ最新は7200系でしたが7000系が一番好きでした。3450系はニスと油の臭いがいつもしていました。
長文しつれいしました。
匿名さん
道路から階段5〜6段で電車に乗れるというのは良いですよね。
変な立体化はバリアフリーが叫ばれる現代に逆行してますよね。
このままが良いですよね。
鷺沼で切り離しやっていたなんて、今じゃ考えられないですね。
コメントありがとうございました。
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