形式の2700は2000系の車体に700形の下回りを組み合わせたことから2700になったとのことで、このナンバリングはなかなか面白い発想ですね。
これら更新車は4扉とはならず、2000系の車体の変化に合わせて2扉のものと3扉のものが混ざって竣功しています。
山陽電車では本格的な乗り入れ対応車両として3000系を製造開始したものの、製作コストが高く、3000系新造で神戸高速鉄道開業までに定数を揃えるのは至難であったことから、いずれ更新が必要な700形の走行機器を流用して製作して数を合わせたというのが製作の経緯だったようです。
700形のMT40の出力が高かったため、ジェットカーに追いかけれても持ち前のハイパワーで吊り掛け車でも逃げ切れたとのことです。
それにしても、轟音を上げて神戸高速線を走るのは中々の迫力だったと思います。
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10両の仲間は順次高性能化され、この3両を含む合計4両だけが吊り掛け車のまま最期を迎えました。
どこか車体の腰が高いような印象を受けるとともに、二灯の前照灯が間抜けな気がします。
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何か格好悪いです・・・
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2000系と基本同形車体を載せています。
製造当初は転換クロスシートを装備していました。
2両のみの改造でしたので、写真の先頭車は後期型の3扉車と混結されて運用されていました。
こちらは2扉車でスタイルもまとまっていて3扉更新車よりも好感が持てます。
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これら山陽電車のロクサン形電車の末裔2編成6両は、1985年から86年にかけて廃車となり、山陽電車の「戦後」が終焉を迎えました。
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