古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2012年8月27日月曜日

唯一生き残った飯田線のクモハ50

クモハ50シリーズ最終回です。
第一回目の飯田線近代化で4両の仲間のいたクモハ50のうち3両が整理対象になったことは前々回お話をしましたが、唯一残ったクモハ50形のその後を追いかけました。

クモハ50008 79.3.23 伊那松島
こちらが唯一生き残ったクモハ50008です。
生き残ったクモハ50は他の首がつながった電車共々豊橋から住処を北部の伊那松島に異動しました。
今度は二両1ユニットの運用に組み込まれるようになったので、通常的に先頭に顔を出せるようになりました。


クモハ50008 79.3.23 伊那松島
こちらは2位空気側側面です。
良く見ると正面サボ受けがあるような無いような変なものがついています。
パンタグラフがPS13なのがちょっと残念です。

クモハ51200 79.3.23 伊那松島
こちらはクモハ50ソックリさんのクモハ51200です。
クモハ50同様クモハ43の3扉改造車です。
それでは何が違うかというと、基本は電動機出力だけです。
3扉クロスシートの電動車の基本はクモハ51形。そしてパワーアップ版はクモハ54形が原則なので、このクモハ51200という車番はその原則に従っていて、見た目は別にして付番上は正解なのでしょう。
逆にクモハ50という形式が???と言うべきで、本来の原則ではクモハ54200~で良かったのではないかと思われます。
どんな経緯があったのでしょうか?

クハ85104(左)、クモハ50008(右) 80.8.31 三河一宮

話がちょっと固くなってしまいました・・・
こちらは1980年夏の画像です。
いつの間にかホロが外されて、Hゴム改造もされてしまい、間抜けな姿に変身していました。
早朝の天竜峡ゆきで大学の鉄研仲間と飯田線完乗の旅に行った時のスナップです。
左は仲間を追いやる結果となった東海道線から都落ちしてきた80系です。

クモハ50008 80.8.31 野田城

さらに天竜峡ゆきで先に進みます。
野田城での交換待ちでもしつこくスナップ。
左手にはタブレットを持った駅員さんが歩いています。
当時はタブレット交換は当たり前過ぎた光景でした。

クモハ50008 83.5.22 出馬ー東栄
更にその3年後です。
こちらは車で日帰り飯田線縦断を強行した時の撮影です。
山の深い飯田線中央部は、当時は車での縦断には道が狭かったり、大きく迂回を強いられたりそれなりに難儀な行程でした。
この場所はその強行軍旅行での目玉ポイントでした。
運良くクモハ50形が先頭の4連がやって来てくれました。
この時に撮影したクモハ50形が私の見た最後の姿となりました。








0 件のコメント: