私の中ではついこの間のような気がしているのですが、数えてみると早いものでもう干支一回り以上の13年が経ってしまったのですね。
確実に時が流れています。
さて、最終運行日はどうも苦手でなるべく行かないようにしている私でしたが、この時ばかりは最終日に行きました。というのは、翌日に月潟で保存される除雪車とモワ51、モハ11三両の自力回送があり、それが本当に最後の列車になることが公表されていたからです。
当日4月4日はまだ東北勤務時代だったので、まだ雪の残る青森からの白鳥に乗って(なんと、特急白鳥が奥羽線の始発電車でした)延々約6時間、新潟に着いたのはお昼頃でした。特急とは言え、6時間の乗車はきつかったことを覚えています。
以前日本海で大阪、青森間を乗車した時も感じたのですが、やはり単線と複線区間が交錯する奥羽、羽越線区間は乗り心地・寝心地が東海道・山陽筋の列車と比べてよろしくありません。
モハ24 99.4.4 板井ー七穂 |
到着後すぐにバスで東関屋に車庫訪問。
その後、沿線で最後の姿を夕暮れまで撮りました。
ちょうど、お別れのヘッドマークを付けた列車がやって来ました。
クハ46 99.4.4 味方 |
小田急の旧車体を利用したクハは部分廃止後はあまり必要が無くなり、モハ10形を電装解除した車両なども登場したこともあって、最後の頃はほとんど活躍していなかった模様です。
モハ12 99.4.4 味方 |
パンタを降ろしただけでトレーラー扱いされている車両もある中で、この車両は電装解除され実質クハになっていました。
日車標準型のモハの二連は過去の訪問時には見たことのない編成で、新鮮でありました。
モハ25 99.4.4 板井ー木場 |
今ならデジカメでもっと後まで簡単に撮れるのに、陽が落ちかけたらもうあっさり撮るのを止めてしまいました。
新潟への帰りの電車の車内はお決まりの名残乗車で結構な混雑になっていました。
99.4.4 味方 |
明日から電車が来ないことにびっくりして駅員さんと明日からのバスのことを聞いていたおばあさん。
翌日も駅にやって来るそんなお年寄りを何人か見かけました。
暗くなってからは、最後を見届けるのも切ないので、名残乗車で混雑する電車で東関屋着。
早めに切り上げて市内のホテルに行ってビールを飲んで寝てしまいました。
キ116 99.4.5 木場ー新大野 |
とりあえず、案内所の人に聞いて木場の駅近くを通るバスに乗りました。
やはり、線路が繋がっている安心感というのは大きいと実感しました。
保存のための最後の列車を撮る場所は木場の手前側の川沿いの場所にしました。
やがて、ゆっくりと真っ黒な車両がファインダーに迫ってきました。
黒い除雪車が走るのを見るのは恐らく最初で最後でしょう。
ゆっくり走ってきたので、肉眼でもちゃんと見ようとカメラから目を離したりしながら撮る余裕がありました。
モワ51 99.4.5 木場ー新大野 |
モハ11 99.4.5 木場 |
こちらは、既に電車の来ない木場の駅のはずれで到着するのを待ちました。
こちらも名残を惜しむようにゆっくりと眼前を通り過ぎてゆきました。
本当にこれが新潟交通最期の電車になりました。
2 件のコメント:
新潟交通最後の日からまだ13年しか経っていないのが意外でした。
私が地鉄で眠りから覚めたのが5年前位なので知る由もありませんでしたが。
新潟交通の素晴らしさを最近になって思い知らされました。
新潟交通最後の日の風景は貴重ですね。
特に改装された元小田急のクハ等が好きで、その鉄道に合わせた仕様に改装される素晴らしさを知りました。
そして模型でそれを採り入れてしまうChitetsuさんの発想にいつも感心し唸っています。
katsuさん、模型の件でコメントいただきありがとうございます。
廃止の最終日とうのは独特の雰囲気があってあまり気が向かなかったのですが、思ったほどの大騒ぎではなくちょっと安堵しました。
廃止翌日の本当の最終電車が行ってしまった時の寂しさは何とも言えないものがありました。
新潟交通は私もkatsuさん同様、元小田急ほかのさまざまなトレーラーが好きで、今も地鉄電車予備軍ネタが順番を待っています。
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