私達二人を乗せた80系電車はセノハチを超えて広島圏内に入ってきました。
セノハチの茶色い電機を車窓からの見学で今回は我慢して、これから目指すは17M国電最後の牙城、可部線です。
京阪神緩行線はタッチの差で間に合いませんでしたが、こちらはタッチの差で間に合いました。
まさにギリギリセーフ、で訪問の一週間後ぐらいには置き換えが行われた模様でした。茶色い17M車の姿を見て、まずは安心です。
17M電車にはなかなか縁がなく、関東の最後の牙城だった鶴見線の時も引退直後で品川駅の京急高架下にずらり並べられていたものしか見れていませんので、感慨一入です。
構内には既に呉線から転用予定の73系電車が試運転で入線、スタンバイ中でした。
クモハ11117 76.3.23 三滝 |
まず目指すは電車区のはずが、不思議にも三滝まで乗って何本か走行写真を撮ってから徐々に横川に戻ったようです。時間の関係で可部まで乗れなかったからそう考えたのかも知れません。乗った電車を三滝で見送ります。元祖鋼製国電モハ30最後の姿です。
クハ16511 76.3.23 横川ー三滝 |
トンネルから飛び出してきたのは木造車を戦前に鋼体化改造で生まれたモハ50系の制御車、クハ16400番台です。
可部線電車の特徴は連結器が自動連結器に換装されていることで、それに伴い密着連結器では不要な解放テコとエアーホースが二本追設されています。
クハ16 76.3.23 横川ー三滝 |
クハ16 76.3.23 横川ー三滝 |
三滝側の建物から太田川を渡る電車を俯瞰しました。
クハ16436(左)、クハ16444(右) 76.3.23 横川 |
クハ16444 76.3.23 横川 |
太田川を渡って横川の電車区にお邪魔しました。車庫の事務所前に並んでいる電車を先ず撮りました。横川の車庫は広島運転所の出張所扱いで、配置は広島運転所です。構内も狭く、合計4線しかありませんので、写真は撮り辛い条件です。左側には試運転用の73系電車が既に入線していました。
写真は先程同様の走行写真同様元50系のクハ65を改番したクハ16400番台です。可部線配置のクモハ11とクモハ12は元30系、31系、50系とバリエーション豊かでしたが、クハ16はなぜかすべて元50系に統一されていました。
クモハ12017 76.3.23 横川 |
クモハ12031 76.3.24 広島 |
クモハ12055 76.3.24 広島 |
* 一番上は本来貫通扉があるはずのモハ50系列改造のクモハ12031。貫通扉は埋められ、一見モハ31ふうに見えますが、側面の窓配置や台車などが当然異なります。ノーリベットです。
* 次は同じくモハ31系改造のクモハ12017。同じモハ31改造ながら、本来の運転台側の雨樋が原型の直線のまま残った大変貴重な一両です。
こちらはリベットだらけの初期車です。
その他にも戦前からの運行札掛けが残っていたり、ジャンパ栓受が標準外であったり、細かく見ると他にもイレギュラーな特徴満載で色々書きたくなっちゃいますが些細なことですし、まあいっか。
運転台を追加した写真後方側の窓が一つ潰されています。リベット減少の後期車改造です。
鶴見線に最後まで残った有名なクモハ12と同じグループの車両です。
クモハ11117 76.3.23 横川 |
こちらは鋼製国電の始祖、クモハ11100番台。
更新時に運行番号窓が無い異端車です。
このスタイルは地方線区に転属後に更新された車両に見られました。
クモハ11211 76.3.23 横川 |
こちらは正統派モハ31、クモハ11200番台。当時南武線とここだけの配置で6両しか残っていませんでした。このクモハ11200番台も製造時期でリベットが多いのと少ないのがあります。
また見た目にはわかりませんが、昭和5年度製までは台枠が昔ながらの魚腹型台枠で、6年度製からはその後の標準となったフラットな台枠に変更されています。
因みに写真の電車は昭和4年度製です。
クハ16511 76.3.23 横川 |
既にユースにチェックインする時刻が迫っていました。
もう少し粘りたかったのですが残念ながらこれにて終了となりました。
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