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2012年4月1日日曜日

十和田観光電鉄全線休止に思うこと

昨日を以って使命を終えた十和田観光電鉄。
聞くところによると、あまり大きな廃止反対運動もおこらずに休止(事実上廃止)に至ったとのこと。
乗客誘致のために自分が作った十和田市駅の施設なのに、そこを売却した先から逆に退去を求められて、追い出される形で今度は廃止手続きが時間的に間に合わないために当面休止という形をとりつつも、実態として廃止に至ったという経緯・・・
なんかすごく残念な結末になってしまいました。


クハ2404 82.3.14 柳沢
早春の柳沢駅にて


クハ2404 82.3.14 柳沢ー大曲
柳沢付近を走る電化時に用意されたオリジナル電車
モハ3401 98.5.31 高清水
初夏を思わせる陽射しを浴びた高清水駅に進入する電車

これまでの三八地方の鉄道の歴史を振り返ると、東北本線の前身である日本鉄道が地元からの反対もあって旧街道から外れて八戸・三沢経由で開通したことから、旧街道沿いの大きな宿場町が衰退してしまい、地元が慌てたという事態がまずは発生。

それらの町と東北本線を連絡しないと衰退に歯止めがかからないことから、ここ十和田観光(当時は十和田軌道)や、五戸と八戸を結ぶ南部鉄道、そして時間軸は異なるものの野辺地と七戸を結ぶ南部縦貫鉄道の三社が線路を敷設、という全国で起こった鉄道ブームが到来。

また時代や目的にずれがあるものの各社共に旧街道沿いをつなげる路線や十和田湖に向かう観光路線の敷設免許合戦などが繰り広げられたわけですが、結局はどれも実現を見ることなく、櫛の葉が欠けるように廃止されてゆき、ここに最後の一社が無くなってしまったわけです。

そして旧街道に近いルートに新幹線が走ることになって、三沢など新幹線ルートから外れた町が逆に活気を失う事態になったことも、皮肉な歴史を感じざるを得ません。

約6年間公私ともに関わりのあった地域だっただけに、色々と考えさせられる結末です。


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