ところが、赴任した翌年から様子が変わってきました。
まず最初に南部縦貫鉄道が休止に。
その後弘南鉄道に転換された黒石線と下北交通に転換された下北交通線が相次いで廃止になりました。
この2路線は地方交通線の転換でも全国的に珍しい民間事業者への転換として話題になった2路線でもありました。
特に大畑線は南部縦貫鉄道が大畑線引継ぎを申し出たことがきっかけになっているというのも皮肉です。
その2路線が共に青森県に所在していたことも特徴的でしたが、それぞれ別の理由から路線維持はやはり厳しかったようです。
キハ85-1 97.2.20 田名部ー樺山 |
写真は雪に埋もれた早掛沼の脇を行くキハ85形。
雪に音を吸われて非常に静かにやって来ました。
バスと同じ色を使った車体塗装もキハ22にはお似合いに感じました。
キハ85-2 97.2.20 田名部ー樺山 |
その2路線が共に青森県に所在していたことも特徴的でしたが、それぞれ別の理由から路線維持はやはり厳しかったようです。
下北交通線はこの撮影の4年後の2001年3月末限りで廃止となりました。
2 件のコメント:
下北半島には、もう25年も前に訪れ、恐山、大間(まだマグロは有名ではなかった)、仏ヶ浦などを回り、下北交通にも乗っていますが、その日は猛烈な暑さ、青森では観測史上最高気温だったそうで、冷房のないディーゼル車はさすがに体にこたえました。その翌日、浅虫温泉への道中、野辺地で時間の余裕があったので南部縦貫鉄道で七戸まで往復しましたが、やはり厚さは厳しく、がたがた揺れる「元祖・レールバス」の何とも言えぬ乗り心地には、「不快の中の快感」さえ覚えていたのてした。
元世田谷区民ですが、「下北沢」を「下北」といういい方には、いまだに違和感を禁じえません。
伊豆之国 さん
どこのエリアも行かれているのですね。
コメントを投稿