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2012年10月21日日曜日

羽田空港駅が川の手前だった頃


京急蒲田の高架化(一ヶ月前の状況はこちら⇒あと一ヶ月で全面高架化 京急蒲田の変遷 )が完成して、くりぃむしちゅーのお話では(?)、快特が10分毎に空港に向かって「どんどん来る!」(くりぃむしちゅーの広告と京急のオフィシルサイトの案内はこちら⇒ダイヤ改正のご案内)ことになるようです。
蒲田の立体化事業完成でいよいよ空港アクセスが完成の域に達した空港線ですが、本来の名前の空港接続が役に立たなかった頃の羽田空港駅を回顧してみたいと思います。

デハ463 82.6.11 羽田空港

ご存知の通り、盲腸線時代の羽田空港駅は羽田空港を目の前に見ながらも空港までは到達していませんでした。
こちらはその時代の羽田空港駅です。
乗客に飛行機に乗りそうなお客さんは皆無、地元客の姿が中心でした。

 82.6.11 羽田空港
そして駅の改札を出たところに見えた光景はこんな感じでした。
戦前の川の向こう側まで行っていた頃の鉄橋が架線柱まで残して未練がましく残っていました。
しかし、鉄橋の向こう側には消防署が立ちはだかっています。
川の向こう側は今の天空橋駅付近です(本ブログの下の「場所」をクリックして頂くと、この撮影場所がわかります)。

このあたりの経緯をウィキペディアから引用しますと(以下引用)
「・・・1910年(明治43年)には複線となり、8分間隔での運行が行われる。(途中略)
・・・・戦時中には空襲により駅が被災するなどしたが、列車の運行は続けられた。しかし終戦を迎えると羽田飛行場が連合国軍の1国であるアメリカ軍に接収され、京急線は空港島からの撤退を余儀なくされる。穴守線も稲荷橋以東の末端部が営業休止、残る区間も貨物線を建設するため単線化された。翌年には省線蒲田駅から空港内への貨物線が開業し、蒸気機関車による貨物輸送が開始された。さらに被災により車両数が減っていた中、先頭車両の半室を仕切る形で連合国軍専用車の運転も行われていた。当時は列車交換設備のない単線運転で、運転間隔は20分以上に開いてしまったとされる。
返還後は空港アクセスに使用されることもあったが、1964年に空港敷地内に乗り入れた東京モノレールの開業後はローカル線として地域輸送に徹することになった。京急元鉄道本部長中根啓介の証言によれば、東京オリンピックを前に運輸省からなされた空港乗り入れの打診を、本線の輸送力増強に専念するため断ったことで、1972年に再乗り入れの検討を始めて以降も、ターミナルへの乗り入れは長らく運輸省・東京都とも門前払いが続くことになった。」(引用終わり)

ということです。
色々なことがあったんですね。

戦前は8分ヘッドの運行!
戦後は国鉄蒲田から1067mm軌間の線路があった!
ターミナル乗り入れに当たっての苦悶・・・

そんな京急の未練がこの鉄橋に残されていた訳です。


デハ465(左)、デハ467(右) 82.6.11 穴守稲荷
ひと駅手前の穴守稲荷から羽田空港の間のひと区間はそのような経緯から未だ単線でした。
ラッシュ時以外の時間はそこに一本の電車が昼寝をしていました。
左側が本線です。

デハ463 82.6.11 穴守稲荷
穴守稲荷の跨線橋から撮ったデハ440形です。

今の活気が想像できない、吊り掛け電車の3連しか来ない頃の空港線の話題でした。
京急の更なる発展を祈りたいと思います。

4 件のコメント:

イヌ440 さんのコメント...

毎度、おじゃまします。
このあと、地下線が出来る前にもう一回海老取川を渡ったのでしたっけ?
1990年代の初めころ、何度か飛行機を下りてからそこから乗った記憶があるのですがすでに曖昧になっております。
国鉄蒲田から狭軌でつながっていたことはつい最近知ったのですが、それが残ってて東急あたりでも運行してくれていたら東急線沿線からの羽田空港利用が便利だったのになあ。3450で(笑)。

chitetsu さんのコメント...

イヌ440さん
中京・関西遠征お疲れ様です。
地下線ができる前には結局川は渡らず、現在の天空橋でモノレール連絡でようやく川向こうに行けたと思います。
蒲蒲線が話題になっていますが、こんなことなら・・・と思っちゃたりしますね。
お隣の大師線も三線区間があったことだし、工夫次第だったのでは?
3450で羽田空港に行きたかったです(^O^)。

Cedar さんのコメント...

空港に行かなかった空港線が、いまや羽田空港のメインアクセスですね。
東京オリンピックの頃に東京都から空孔乗り入れを打診されたとき、本線の輸送力増強が忙しいと断った(!)とは思えないハシャギぶりです。
~蒲蒲線って、名前からして夢物語っぽくないですか?
拙ブログでも今日は空港線ネタやってます、お暇ならご覧下さい。

chitetsu さんのコメント...

Cedarさん
空港にまつわる京急の思いは時代ごとに随分と変化をしてきていますね。
身から出て錆とは言え、空港乗り入れには随分と苦労をさせられたのがようやくこれで完結を迎えたのでしょうね。

蒲蒲線、自分にもゆめ物語な気がします。
蒲田にまつわるブログ、楽しく拝見しました。