首都圏のぶどう色の電車、私はその姿を見て写真を撮ることができた最後の世代なのかもしれません。
都区内の通勤線区には既に営業用の旅客車としてのぶどう色の電車は無く、南武、鶴見、横浜、青梅・五日市線が活躍の場でしたが、なんとかその活躍は見ることができました。
そのような電車たちは学生以降40歳代ぐらいまでに随分と模型化してきました。その作品をいくつかご覧いただこうと思います。
こちらは都区内で私が見れたぶどう色の電車・配給電車たちです。その中でも配給電車とペアを組んで走るクモニ13形は好きでした。首都圏で走るクモニ13形は2タイプ存在していましたので、模型でも2種類を作っています。
クモニ13形のうち、木造車の鋼体化をしたタイプは73形に似た切妻でした。
左手はそのクモハ73形です。今見るとちょっとオデコが広くてちょっと不満が残ります。
こちらは近年発売されたクモハ12形を晩年仕様に加工したものです。
列車無線装備、下廻りも細かい部品を付けてそれっぽくしてみました。
右の車輌はクモハ12形を切り継いで片運転台のクモハ11形の200番台としたもので、クモハ12形と並べてみました。手摺など細かい部分も作り分けてみました。
さらにこちらは片運転台化に加えてトレーラー化をしてクハ16形の0番台としたものです。
31系どうしが連結した南武支線のクモハ11とクハ16のコンビは本線のぶどう色の電車引退後も結構長く活躍していたので、見る機会も多くありました。その姿がプラ製品から作れたのは嬉しいです。
9 件のコメント:
いま小田急線沿線なので
登戸は毎日通りますが、
こんな電車が走っていたら
楽しいだろうなぁと夢想します。
もっと昔は登戸までC12の貨物列車もあったんですよね。
にぶろくさん
南武線とかは走っている時はあたりまえと思って、無くなったから良かったなと思うもんなのですね〜。
人間って身勝手なものですね。
なんとなく中原電車区に見えてきますね。懐かしいです。
クモハ11とクハ16は元形式の違いでそれぞれ3タイプありますが、昭和40年代前半の写真を見ると、同じタイプで編成を組んでいるのが多いようです。
KATOのプラ国電、車体のできは申し分なしですが、窓ガラスの厚みが目立つのを改良して欲しいところです。斜めからだと全部戸袋窓のように見えてしまいます。
茶色いクモニは国電の中では好きな電車でした。横書きの「荷物電車」って札も好きでしたね。
モハメイドペーパーさん
窓ガラスの厚みは素材と構造を考えると改良はほぼ無理でしょうね。
実際に生産側の事情が分かると、事実上限界とわかりました。
よくできている部類と思います。
Cedarさん
横書きのサボはずいぶん昔から引き継がれた方式のようですが、私もあのサボの掲示方法好きでした。
製造期間は3年だが、年度ごとに車体裾やリベットの数が異なる31系電車。模型化する際に厄介ですが、こだわりだすとキリがないのが楽しいところかもしれないですね。鋼体化クモニ13のジャンパ栓の箱も、良いアクセントですね。
緑の猫さん
この時期は毎年度仕様が変わる日進月歩の時代だったのでしょうね。
画一的でないのも楽しいですね。
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