梅雨が明けましたので、冷房の話題を。
名鉄の戦前の流線形電車といえば『なまず』と『いもむし』の2形式があげられます。
それぞれの誕生時期は意外と近いのですが、外観は全く異なります。
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83.3.1 鳴海 |
そのうち『いもむし』は4両編成で最晩年までスカートを付けた流麗な姿で活躍を続けていました。
その後、AL車淘汰の流れの中、仲間2編成は廃車、残る一本も中間車を抜いて2両編成で活躍を続けていました。
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94.7.14 新岐阜 |
そして、リバイバルカラー化と合わせて、何と!冷房が搭載されました。
天井に冷房機が搭載されており、夏なのに窓が閉まっていることでそれとわかります。
当時の運用では殆んど広見線内の行き来でしたが、午後に一回だけ新岐阜まで各務原線を走る急行運用に充当されていました。
吊り掛け車で、本線急行運用、さらには冷房付き!ときていますから夏場に体験試乗するしかありません。
ということで、この電車に犬山まで乗車しました。
懐かしい昭和なのに快適な冷房の効いた車内で吊り掛け音を聞きながらの時間は楽しくも不思議な時間でした。
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ク2401 94.7.15 御嵩
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翌日は広見線内を走るいもむしを撮影。
モ800形と3両編成でやって来ました。
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モ3401 94.7.15 新鵜沼ー羽場 |
そして、最後は各務原線を走る雄姿を撮影することにします。
新可児ゆき急行で下ってきました。
その後の去就はみなさんご存知の通りです。
動態保存、それが無理でもせめて2両編成で残してほしかったです。
10 件のコメント:
名鉄電車の3400+800の編成には、3枚目以降の写真より2年後、800型のお別れ運転の時で、この時訪れていた犬山でそれを知り、「貸し切りでない、運賃だけで乗れる」ことを確認して、犬山から新可児まで往復。行きは800に、帰りは3400に乗り、吊り掛け音を堪能しています。それから、犬山城を見た後、木曽川の併用橋の上を行き交う電車を撮り、夜は明かりが灯った祭り屋台の巡行を見物してきたのでした。
その頃の名鉄には、吊り掛け車両もだいぶ減ったとはいえ、「パノラマもどき」の7300などもまだ現役で、木曽川の橋の上から撮った記憶もあり、「北アルプス」が通った鵜沼の渡り線もまだまだ健在だった時代でした。
それにしても惜しまれるのは、引退後の3400の悲しい扱い。走り続けるのは無理でも、せめて2両1組で保存してほしかった、というのはまさに同感。80のほうも、どこかで保存されている、というのは見たことがあるのですが、今はどうなっているのでしょうか。
2両とはいえかなり手をかけたのに、最後はあっけなかったですね。保存に熱心だった偉いさんが退職されたとかで、社内で風向きが変わったのかも知れません。800形は日車の豊川工場に1両保存されています。確か両運の809か810だと思います。
伊豆之国さん
3400形は動体保存されるものとばかり思っていたのに、残念です。
モハメイドペーパーさん
上が変わると途端にお釈迦のパターンは近年多い気がします。産業遺産より収益優先と言うのは営利企業とは言え残念なことです。
冷房時代の姿は撮影していませんが、4連、ストロークリーム色時代に犬山線で何度か乗車しています。名鉄らしい高速運転に興奮した記憶がありますね。
Cedarさん
ストロークリームのツートンは格好良かったですね!本線の高速運転も素晴らしかったです。
突然このようなメールを差し上げるご無礼をお許し下さい。
昔名鉄桜駅の近くに住んでおり、この電車にもよく乗りました。懐かしい思いで拝見いたしました。
ところで、1枚目の写真ですが、鳴海駅のホームは大きくカーブしており、幅ももっと広かったように思います。私の曖昧な記憶ではどうも豊明駅のように思われますが、いかがでしょうか。
chitetuさん、貴ブログをいつも楽しませて頂いております。
“冷房いもむし”思い出深いご紹介をありがとうございます。
勝手ながら便乗し、拙ブログでも関連掲載させて頂きますことを、一応事前にお知らせさせて頂きます。
7/27に公開予定ですが、ご了承の程よろしくお願いします。
はじめまして。突然のコメントごめんなさい。
1枚目はtakaharuさまのおっしゃる通り豊明と思います。
豊明初の普通、栄生行き
橙色の跨線橋 この写真の少し前に完成したものが懐かしいです。
匿名さん
コメントありがとうございます。
私の記憶違いのようですね。
ありがとうございました。
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