以前丸ノ内線ネタで必要な時はネガを発見できなかったもの(コノトキ⇒KATOの丸ノ内線お買い物)ですが、こういうものは要る時にはなんぼ探しても見つからず、要らない時には見つかるものです。
駄菓子菓子!
そのままスルーすると又もや闇の中に封印されそうなので、スキャンすることにしました。
752 83.11 御茶ノ水ー淡路町 |
こちらはお馴染みの御茶ノ水です。
背景に写っている中央総武緩行線は201系です。
当時の丸ノ内線は通学にもよく使っていましたが、あまり興味の対象にはなっておらず、殆んど撮っていないのが悔やまれます。
車内のピンク色塗装も暑苦しく感じたものです。
02-637 14.8.22 御茶ノ水ー淡路町 |
折角なので今の様子を見に行きました。
当然電車は上下とも鉄板電車から代替わりしています。
というわけで、本日は『Chitetsu流コンニャク日記』です。
02-630 14.3.29 御茶ノ水ー淡路町 |
高さは別にして同じ場所の現在です。
随分周辺のビルに高さが変わってきています。
神田川左岸の護岸工事も進み、以前のゴチャゴチャ感が随分と減ってしまいました。
昭和は遠くになりにけり・・・。
次は、四ツ谷~。
601 92.6.25 四ツ谷 |
四ツ谷のホームから見た500形。
サインカーブの赤い電車、懐かしいです。
でも、冬の朝は暖房がなくて寒かったです。
この電車、冷房装置は勿論ですが、暖房装置さえ無かったなんて、知ってますか?
今もブレノスアイレスで元気でしょうか?
02-135 14.8.22 四ツ谷 |
左手が大学のグランドになっていますし、地形的にも大きな変化がなさそうな気がしていた四ツ谷。
でも比較してみますとグランドは流石に変わっていないものの・・・背景は結構様変わりしていました。
そう・・・
何と、東京タワーが消えています!
ここでも東京の空は狭くなっています。
2020年がCedarさん同様、心配です・・。
次は、中野坂上~。
2032 92.4.24 中野坂上 |
こちらは中野坂上の方南町線ホームです。
方南町支線線内折り返し運用には、まだ銀座線用の2000形が運用されていました。
2032 92.4.24 中野坂上 |
今はホームドアのおかげで随分迫っ苦しい雰囲気になりましたが、この当時は営団地下鉄の駅の中では天井も高く、割と開放感がありました。
02-381 14.8.17 中野坂上 |
現在は天井の空調装置にホームドアと随分ごちゃごちゃしてきています。
駅の雰囲気は昔の方がずっと良いですね。
2032 92.4.24 中野坂上 |
丸ノ内線用の2000形は車体幅が狭いので、ステップが大きくはみ出しているのが分かります。
2000系の丸ノ内線塗装、結構似合っていましたね。
でも、サインカーブが無いのはちょっとセコイ?
次は、終点・方南町~。
2033 92.4.24 方南町 |
こちらは終点の方南町駅。
素っ気ないほどすっきりしています。
2033は銚子電鉄でデハ1001の片側お面として生き残っています。
02-185 14.8.17 方南町 |
変化なんか無さそうな気がした方南町駅。
現地に行って以前の画像と照合しようとすると、場所の特定さえ結構難儀な変わりようでした。
スッキリしていた以前の画像と比べると、随分と狭苦しくなってしまいましたね。
偶然見つけた丸ノ内線のネガから今昔写真を対比して、自分のイメージと実際の変化の差が予想以上に大きいことに驚きました。
14 件のコメント:
M線の旧型車輌、先頭から鳴動するCP音も思い起こされます。
ところで方南町に丸型のファンデリア現存なのですね。
セミステンレスの車輌で採用したのと酷似していますが、筐体自体は共通なのでしょうか?
イヌゲージを開けてしまったかと後悔してしもたやないかっ(糞爆)
12号線さん
方南町のファンデリア、半分天井に埋まりながらも健在ですね。
電車のと同型なのでしょうか?
中野坂犬殿
気になったらもう一回クリックしてください(爆)!
駄菓子菓子、Chitetsuさんと鉄犬さん、文体もネタもますます二卵性双生児化してますねぇ。
まああれだけ頻繁にオタ呑みしてれば当たり前ですね。
子供の頃から「景色が見えないのでつまらない」と思っていた地下鉄にあって、丸の内線の「赤い電車」は、当時住んでいた「玉電」沿線からは案外乗りにくい路線であった分、「憧れの的」でもあったのでした。銀座線の「電灯が消える電車」と同じ第三レール式でも、丸の内線の電車ではそういうことが起きなかったのは、「バッテリーの容量をUPした」ことからだと知ったのは、だいぶ後になってからでした。丸の内線は、社用でも乗ることは案外少なく、いまだに中野坂上~荻窪間と、方南町支線の中野新橋(?)から先は乗ったことが無いのです。
ところで、はるばるタンゴの国(「ちりめん」ではなくてメッシュ、いや「メッシ」…)に渡った仲間は、まだ健在でしょうか?
…「コンニャク」で連想したのは、そのコンニャクの産地・下仁田へ行く上信電鉄。私は、7年前に富岡製糸場に行ったときに上州富岡まで乗ったことがあります。余談ですが、世田谷区民だった頃、「玉電」沿線に「蒟蒻白滝」と大書した看板を掲げた店があり、それで「コンニャク」は「蒟蒻」と書くんだ、とその難しい漢字を覚えたのでした。
Cedarさん
うひゃ~!
二卵性双生児・・・デスカ~!
早急に病院に入院します(爆)!
伊豆之国さん
銀座線の明かりが消える電車、何故か子供心に都会を感じてしまいました。
理由は良く解りませんが、前から順番に明かりが消えてゆくのを貫通路から眺めるのが好き出した。
それに引き換え丸ノ内線は明かりが消えないのが物足りなく感じる、という変な子供でありました。
丸ノ内線の室内灯がセクション通過でも消えないのは、MGにフライホィールを付け、数秒間は電源が切れても回っているようにしたからです。
なので、ゆっくり通過すると少しずつ蛍光灯が暗くなってくるのがわかりました。
私も丸ノ内線で通学していましたが、撮影対象外でした。
御茶ノ水の背後に見える秋葉原のビル屋上看板にも時の流れを感じます。
石丸は消え、レコードは死語になりました。
丸ノ内線といえば、運転席に速度計がなくワイパーが手動でした。
後に改造されたのは、前面Hゴム化の時だったかもしれません。
それから、リンク先にある300形や400形の貫通扉撤去は1975~6年頃に行われたと思います。
同時に、組み込み位置が3,4両目から2,5両目(つまり500形の間に挟まれること)になりました。
変更前は通り抜ける際に2-3両目~3-4両目~4-5両目と開き戸が続き面倒でした。
モハメイドペーパーさん
丸ノ内線の車内灯は確かに微妙に暗くなる時がありましたね。
池袋の渡り線などでは薄暗くなる時がありました。
元・いきもの部長さん
秋葉原のお店も随分様変わりしましたね。
石丸が無くなってしまうなどということも想像できませんでした。
300、400の扉撤去はその時期だったのですか。
ちょっと可哀相なかんじでしたね。
こんにちは。
時代を超えての定点観測、本当に面白いですね。鉄道時代の変化だけではなく、街の移り変わりまで含めて、時が流れたことを感じたり、往時を思い出したりするのが好きです。
御茶ノ水は、駅の改築が進むと雰囲気は変わりそうです。それでも丸ノ内線の駅はあまり影響はないかもしれませんね。
工事とともに変わっていく様子を時折眺めながら、東京の鉄道の風景の名所───御茶ノ水橋からの眺めや、この近隣をスナップしたくなりました。
お写真、楽しませて頂きました。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc
風旅記さん
こんにちは。
定点観測は変化の激しい日本では面白いです。
最近はこれにはまっています。
外国ではあまり風景の変化が無いと思っていたのですが、先日ベルリンで定点観測をしたら結構街並みが変わっていました。ベルリンの壁崩壊前後ということもあるのでしょうが、外国でも定点観測は有効なことに気付きました。
ブログ、拝見しました。
これから、のぞかせて頂きます。
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