模型の世界では何故かエコーモデルと西の模型屋さんの競作になっていました。
このような小型電車が珍しい時期に『何故また?』と思ったものです。
私はエコーモデル製品を購入しました。
デナ21とデナ125 |
エコーモデルの車両キットで電車は現在のところこれ一種類だけで、内容は気合の入ったものとなっていました。
私もこの電車を作るにあたっては改めて修学院車庫にお邪魔して細部を撮影取材した上でなるべく実物に忠実に作りました。
普段は地鉄電車で思いつき工作をしている時とはちょっとスタンスが違いました。
取材時画像 デナ125 |
実見できたのはパンタ化後でしたが、模型はやはりポール集電時代としました。
デナ21とデナ125 |
連結運転を再現したいので2両を購入、折角なのでデナ21形とデナ121形の二種類としました。
この2種類の形式は製造時こそ差異があったものの、後年は大差のないものとなっていましたが、デナ21とデナ125では楕円の車番の取り付け位置が異なっていました。
デナ125 |
デナ125。
デナ125とデナ21 |
別の角度から。
可愛い電車です。
デナ125 |
デナ125 |
独特の優雅な電車が手元に。
13 件のコメント:
HOスケールの日本型、特に蒸機はガニマタ感がぬぐえないですが、叡電はしっくりしますね!!
この電車をいじって地鉄電車にしても面白そうですね。
こんばんは。
当方はモデル8製を2輌もっていますが、未だ「板」のままです。
ちなみに昭和47年頃のスライダーシュー交換(大津線のお古で2本バネ)まで、デナのポールが4本バネだったと言う事はあまり紹介されていませんね。
maru-ha殿
確かに叡電はガニ股電車ですが、最初からそのように頭に入っているから違和感がないのでしょうか?
宵闇さん
最初はこのキット買ったときにチラッとその思いが横切ったのですが、個性が強い分手強いかな、と思ったのを思い出します。
たかはし おさむさん
こんばんは。
確かモデル8と洛陽舎からも発売になっていましたね。
私の自宅ではデナ500形のキットが『板』で寝ています。
ポールの件。
そのことは知りませんでした。
PS クラフトモデル、PE記事拝見しました~。
こんにちは。ホイールシュー時代が4本バネとは知りませんでした。
叡電沿線で在住の頃、写真を撮影しに行き、デナ21、500が来るとがっかり、デオ300が楽しみでしたが、今となっては、デナ21の写真も撮っておけばと悔やまれます。
車庫の雰囲気とぴったりの車両ですね
hawkさん
こんばんは。
たかはし おさむさん話、知りませんでした。
電車を見るときの好き嫌い、人それぞれですね。
昔見向きもしなかった電車、今となったら後悔・・・
私もいっぱいあります。
chitetsuさん
hiwkさん
こんばんは。
デナ1は2本バネだったのですが、デナ20と120の両形式は4本バネが搭載されている写真(昭和20年代から30年代にかけて)が複数あります。
今日はもう遅いので明日またご連絡いたします。
PS:chitetsuさんのPEとまた機会があれば共演させて頂ければ嬉しいです。
あれっ!昨晩見たときはコメント0件だったのに、すごい増えてる。
スタイルも色も京都の気品を感じる優美な電車でした。
実車に会えたのはスライダーシュー交換後でしたが、乗務員が窓を開けてポールを操作する様子が印象的でした。
それから、ポールのバネの件は初耳でした。
そうなると、嵐電のポールはどうだったのか気になってきます。
皆様おはようございます。
ポールのお話ですが、実車写真を少し当方のブログにアップしましたので、ご笑覧頂ければ幸いです。
たかはし おさむさん
ブログの写真、拝見しました。
4本バネ、確かに確認できますね。
デナ1と21で違うのも興味深いですね。
ポールの話、先日もCedarさんともしました。
奥が深そうで、PE噺と合わせて色々話が尽きそうにありませんね。
元・いきもの部長さん
自分は見れたのにポール時代を見ていませんが、見た人の話では、ポイント通過時にはしっかり車掌さんがポールの紐引っ張っていたらしいですね。
ポール自体は京阪のお古のようですが、京福電車は保守的な会社だったのでしょうね。
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