目的地は長野です。
今回はバス |
交通手段は当然北陸新幹線かがやきでバキュ〜んと、では無く今回は高速バスで向かいました。
今回バスで向かったのは、毎度優待券をくれる友人が差し出した京王のバス券の恩恵に今回もあずかった訳で、何ともありがたいお話であります。
ということで、旅のスタートは地元の練馬区役所。
先日納税でやって来たあまり嬉しく無い場所です。
到着したバスは京王バスの3列シートの結構快適なバスでありました。
新幹線を見ながら・・・ |
途中、本庄児玉付近ではシンカンセンを眺めながら高速バスは長野を目指します。
15.11.12 長野インター |
約3時間で到着したのは長野インターバス停。
ここで降りました。
何故、長野インター?
お気付きの方もいらっしゃると思いますが、実は長野インターバス停はあの廃止になった長電の松代駅からはかなり至近の位置にありますので、今回の旅は屋代線のその後を見ることにした訳です。
という訳で、今回はバスで巡る電車の旅なのであります。
屋代線廃線跡 |
長野インターからはテクテク歩いて約5分強で屋代線の線路跡に到着、そこから10分ぐらいで松代駅に到着しました。
松代駅は大学入学後鉄研初の合宿が行なわれた想い出の場所です。
そして、屋代線は高校時代に私鉄電車巡りを始めた最初の場所の一つでもあります。
クハ451 77.5.1 須坂ー井上 |
モハ1012 80.9.3 岩野 |
モハ1501 86.5.4 若穂ー信濃川田 |
モハ3526 12.1.17 信濃川田 |
末期はマッコウクジラ。
15.11.12 信濃川田 |
今は・・・バス。
廃止直前も何度と無く来た松代駅の今を見たくてこちらにまずはやって来ました。
果たして現状は如何に?
12.1.21 松代 |
15.11.12 松代 |
廃止直前に撮った場所から見ました。
嗚呼!!
15.11.12 松代 |
こんな感じで、駅舎以外は見事に整地されて駐車場と化していました。
15.11.12 松代 |
駅舎はバス待合所として現役時代のままではありましたが、この先どこまで持つのか、過去の例を考えると不安になります。
駅前風景は電車が走っていた頃と変わらないのですが、何かが違う空気感がありますね。
クハ1552(左)、クハ1052(右) 80.9.2 松代 |
15.11.12 松代 |
こちらは、最初に訪れた時と同じ場所で撮ってみました。
15.11.12 松代 |
松代駅前からは電車代行のバスで須坂を目指します。
悲しいほどガラガラ |
綺麗な大型バスが線路に忠実にビックリするような細い道にも入りながら走りますが、乗客は自分を含めて2人・・。そのもう1人も途中で下車しちゃいました。
これじゃ、電車が成り立たないばかりかバスも厳しそうですね。
長野では無く須坂を目指すという現在の交通の流れと合っていないルートは既に終わってしまった訳ですよね。
この後、乗客が私一人になったバスで向かった信濃川田では驚くべき光景を見ましたが、それはまた次回ご紹介することにします。
10 件のコメント:
うわ~ん
かなしいなあ~
ついこのあいだ無くなったばかりだったよね・・・・
逝っとけばよかったです、、、
鉄道をなくしてから栄えた町はないといわれるけど、それは鶏が先か、卵が先かという議論みたいです。
いすみ鉄道の社長のブログに、そのあたりの核心を突いた記事が載っていました。一読の価値ありと思います。
http://isumi.rail.shop-pro.jp/?day=20151113
まっこう犬殿
何とも悲しいもんです。
地方交通の厳しさを実感する旅でした。
モハメイドペーパーさん
いすみ鉄道の記事読みました。
過去の存続運動の多くはまさに残すことが目的で、どうやってその後を維持するかというのは考えていない気がしますね。
存続運動の集会にクルマで来るというのは何ともな話ですが現実ですね。
1500系乗ってみたかったです・・・
でも廃線になって線路がなくなった街をみると本当に寂しい気持ちになります。
今度の東武鉄コレは3000系ですね!
廃線跡めぐり~やはりカナシイですね。
廃止前に一度行きましたが、当時でも松代~長野は川中島バスに乗りました~川中島バスって社名にも痺れましたけど。
宵闇さん
1500形はおかげさまで何度か乗車しました。
昼間の単行の電車でも当時はそれなりに混雑していましたが、そんなの嘘のようなバスの車内でした。
そんな様子見るのは寂しいもんですね。
Cedarさん
そうですね、行かなきゃ良いのについつい行ってしまい、寂しい思いをするのもアホみたいですね〜。
川中島バスという響き、自分も好きです。
最近は車体にはアルピコと併記されていますね。
気がつけば、コメントを書くのも随分と久しぶりになっていました…。
私も、実は同じようなコースで松代を訪れたことがあります。それは6年前の8月下旬、「新秋の信州」の旅路。新宿から高速バスで長野行きに乗り、「川中島古戦場」で下車。ガイドのおばさんの解説に聞き入り、それから路線バスで千曲川を渡って松代の町へ。昭和53年に上野からの直通急行「志賀」で入って以来、31年ぶりの再訪。まだまだ厳しい残暑の中にも、吹き抜ける風の爽やかさに「小さい秋」を見つけ、懐かしい町並み歩きに感傷に浸っているうちに、松代駅前で長野行きのバスにタッチの差で間に合わず。31年前とほとんど変わっていなかったたたずまいの松代駅でふと時刻表を見ると、屋代行きの出発時刻まであと少し…。ということでその屋代線に。やってきたのは元・日比谷線の3000系の2連、冷房もなし。乗客も少なかったようで、既に「先が思いやられる」ようにも感じ取れたのでした。
長野電鉄の前身「河東鉄道」は、もともとは松代・須坂・中野など、国鉄線から取り残された千曲川の東側の町々を結ぶ目的で敷かれた路線だったそうで、対岸にある長野市街への路線は「やっぱり県庁所在地と結ばないと…」ということから、屋代~木島間が全通した後になってから敷かれたと知ったのでした。分岐点が中野方面にも近くなる須坂になった結果、松代へは長野市街から遠回りになり、松代町自体も長野市に合併され、千曲川に架かる橋も増えて自動車のほうがずっと早く行けるようになると、既にその時点で「屋代線」の運命は先が見えていたような気もします。
伊豆之国さん
開業時は木島、湯田中への最短ルートだったものの、すっかり交通の流れは変わってしまったわけですよね。
残念ながら本来の使命は70年代に入るぐらいで終わってしまったのでしょう。
コメントを投稿