古い建物や街並みをめぐる紀行・地方電化私鉄以外の駅関係の写真については兄弟ブログ(「古い建物と街並みをもとめて」・アドレスは右側の兄弟ブログらんの「古い建物と街並みをもとめて」をクリックしてください)にアップすることにしました。  こちらも是非ご覧下さい(但し、こちらのブログは駅の写真以外は鉄分ほとんどありません。悪しからず)。

2015年11月19日木曜日

信濃川田から須坂、そして小布施へ

信濃川田駅を後に病院に向かうおばあちゃんと私の二人を乗せたバスで須坂に向かいます。

15.11.12 綿内

途中綿内でも元の駅前までちゃんとバスは入ってゆきます。
ここでも駅舎が残っていました。
こまめに沿線をトレースして走ってゆくバス。でも、悲しいかな空気を運ぶような状況に変化はありません。
因みに途中ですれ違った屋代ゆきバスは空気だけを運んでいました。

15.11.12 須坂

あちこち寄りながら走るので、電車時代よりは随分時間がかかりましたが、須坂に到着しました。
須坂の駅は最初に訪れた時と殆ど変わっていませんでした。
逆に言うと約40年間殆ど手が入っていないとも言えますね〜。

モハ3536 15.11.12 須坂

クハ61 15.11.12 須坂

駅構内は線路が余ってしまい、OSカーや非冷房マッコウクジラ号などが放置されていました。
OS10は製造後約20年でオシャカにしてしまった薄幸の電車です。
車齢よりも部品共通化による合理性を選択した結果というのもわかるのですが。
ホームから見える位置に褪色した電車が置かれていると、駅もどこか活気が無い感じが気になります。

15.11.12 小布施

須坂からはようやく電車で移動です。
そこにやって来たのはTQ田園都市線。
ここまで来てまでこれに乗りたくありません。
そして、到着したのはここ、小布施です。

モハ2008 15.11.12 小布施

小布施にはながでん電車の広場があって、貴重な電車や電気機関車が保存されていたのに、何故かそれを引っ張り出して2000系D編成が収まっています。
これはどういうことなのでしょうか?
この電車もご贔屓ではありますが、何故入れ替えちゃったのでしょう?

右手の線路は余ってます

いちばん左の線路も使ってません

構内には線路もいっぱい余っているのに・・・。
多分、場所の有無じゃなくてやる気の問題なのでしょうね。
その上にその昭和初期の貴重な電車を結局は手放してトットちゃんの図書館にするなんて、誠に残念!


15.11.12 小布施

何とも納得出来ない気持ちで小布施を後にしました。

4 件のコメント:

軽便行者 さんのコメント...

私は、温泉好き&軽い登山が好きなので、長野~志賀高原~草津温泉に毎年出かけますが、年々、いくたびに長野電鉄の廃れようが目に付きます。ED502の姿がないので、さぐって見ると、地元企業で保存されたようですね。或る資料によると、信濃川田駅に「屋代線メモリアルパーク」を当初をつくる計画があって、輸送費を考えて廃線前に回送搬入したようです。確か廃線前も松代地区よりも信濃川田周辺住民の活動が活発でしたね、鉄以外の人が保存運動してたようです。長野市も関係してたようですが結局、頓挫でしょうか?
ED502を引き取った会社の社長さんは「乗り鉄」らしく、いい保存先みたいですね、一安心です。

chitetsu さんのコメント...

軽便行者さん
記事に書きましたように、私もだんだん元気が無くなってきているようでちょっと心配になっています。今地方交通はどこでも厳しいのは変わらないですから、仕方無いのでしょうが。
電気機関車の行方、気になっていましたが引き取られたのですね。

軽便行者 さんのコメント...

保存先を書いてませんでしたね、直富商事株式会社 長野県長野市大豆島
会社のホームページの社長ブログ2015年5月を参照してください。

chitetsu さんのコメント...

軽便行者さん
情報、ありがとうございました。
保存先は鉄道に関係のある会社なのですね。
鉄橋も一緒に保存されたとは知りませんでした。