その列車は土休日限定運転の通称「ゴルフ急行」。
停車駅は急行と言いながらも西武新宿 - 高田馬場 - 鷺ノ宮- 田無 - 所沢- 狭山市 - 本川越と通常の急行よりも全然速達タイプで、今なら『快速急行』と命名したのでしょうね。
以前からのゴルフ客の利便を考えた週末の早朝下り電車のみ運行の特別の電車でした。
この列車は1993年のダイヤ改正により、特急「小江戸」の運転が開始されたことで廃止となりました。
この電車は赤電時代は必ず吊り掛け電車の2両編成が運用されることもあって、沿線の彼方此方へと良く撮りに行きました。
本日は、そんな時代離れした週末限定・赤電急行の走行シーンをご覧ください。
クモハ426 79.7.8 新狭山ー狭山市 |
単線時代の狭山市付近を行く411系のゴルフ急行。
先日車窓からこの場所を特定しようと眺めましたが、どこだか解らないぐらいの変貌を遂げていました。
35年前の話ですから、しょうがないですね。
クハ1490 79.6.24 狭山市ー入曽 |
初夏の狭山を行くゴルフ急行。
今日は451系の2連でした。
クモハ453 79.6.24 狭山市ー入曽 |
気持ちの良い青空のもと快走します。
クモハ466 79.3.4 所沢 |
みぞれ混じりの朝、正面に雪をつけて所沢駅に到着したゴルフ急行。
10両編成対応の長いホームにチョコんと停車します。
今は中線も無くなった上に、駅構内改修で随分と様子が変わりました。
後方に所沢工場への分岐線が見えます。
クハ1445 79.3.4 所沢 |
後ろはクハ1445。
クモハ428 79.9.2 小平ー久米川 |
こちらは小平を出て、久米川へ向かう411系ゴルフ急行。
クハ1485 79.3.4 武蔵関ー東伏見 |
武蔵関付近の川沿いをゆく。
クハ1445 79.8.12 鷺ノ宮ー下井草 |
こちらは自転車で行ける鷺ノ宮付近で撮った、ゴルフ急行の送り込み回送です。
こんな古い電車が最速電車で走るのですから、私は嬉しくてしょうがありませんが、ゴルフバックを持ったお客さんはタマランでしょうね。
クモハ466 79.8.12 鷺ノ宮ー下井草 |
振り向いてもうひとカット。
クモハ466 79.8.12 野方ー都立家政 |
上の回送電車は野方付近で下って来るのを待ちました。
場末の呑み屋さんを見ながら快走するゴルフ急行。
昭和な風景ですね。
クハ1442 79.8.12 鷺ノ宮ー都立家政 |
お盆の都立家政駅。
都立家政駅を出ると鷺ノ宮へと坂を下ります。
11 件のコメント:
野方、都立家政へは歩いて行ける所住んでいるけど、休日の早朝ということで、真面目に撮影したことはありません。
野方の線路沿いに写っている鰻屋は、まだあるはずです。
この頃の鷺宮は、まだ中線(現在の下り本線)が行き止まりでしたね。
モハメイドペーパーさん
そうなんですよね、この電車朝早いのですよね。
今なら家でゴロゴロですが、あの頃は若かったですね〜。
好きなことだと早起き出来るって人は言いますよね。ゴルフとか釣りとか・・
鉄も同じですかね~Cedarはだめですけど・・なにしろ車で早朝撮影に行って線路端の車中で寝過ごしたってくらいですから。
Cedarさん
以前はお目々パッチリと開いて電車見に行きました。最近は別の理由で早起きです嗚呼!
いやー、この列車は知りませんでした。びっくりしました。
東武も「ゴルフ快速」を57で走らせていたことがあります。写真を引っ張り出してみました。
http://bunjin.cocolog-nifty.com/bunjin_2/2015/05/post-c18a.html
低Nさん
東武線にもそんな電車があったのですね!
知りませんでした。
以前、下今市駅に休日朝行ったら、ゴルフ場の送迎バスがいっぱい居て、スペーシアからそれなりのお客さんが降りて来ました。
出たぁ、ゴルフ急行。列車番号「9001」って、結構エース級の番号で、しかも吊りかけ2連の憎いやつでしたよね。
小生は、以下のことを思い出しましたぁ。
①高田馬場駅で2連の列車はこれだけなので、「編成が短いので、新宿寄りには止まらない!山手線の跨線橋から進行方向のみで待ってろ!」と繰り返し放送していた。
②上石神井駅の通過が何とも!唸る吊りかけサウンド+ポイント通過のジョイント音がすざまじい!
③田無以遠の駅では、止まらない電車がないので、ホームの人が「なんだ!っていう顔をしている。
maru-haどの
①確かに10両編成のホームに止まるわけですからそうですよね~。
②上石神井はそんな感じだったんでしょうね。
乗ってみれば良かったです。
③そりゃ、ビックリしますね。
高校生の時部活に参加するため所沢から本川越まで乗ってました。
車両の揺れがものすごかったのを覚えています。
昼間は本川越で控えていて夕方西武新宿に向けて走ってました。
あの当時は「狭山市駅」ではなく「入間川駅」でした。
匿名さん
朝晩一往復、2両編成の列車というのはどれだけ需要があったのでしょうか。
ゆとりがあったとも言えますね。
これは野方駅のカーブからいきなり現れあっという間に都立家政に過ぎ去っていました。すごい音でした。野方の駅舎も変わり、飲み屋の辺りは通学路でした。あの辺りにサウナもありました。
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