毎度ながら、ありがとうございます!
さて、今回の140という数字はあまりキリの良い数字では無いのですが、連想できる電車があったので記念企画行きま~す。
私が連想した140は二代に渡って襲名された福井鉄道の140形電車です。
初代も二代目どちらをとっても、一癖も二癖もある電車でした。
モハ141 80.3.13 西武生 |
お祝いの記事なのに、嗚呼・最初から廃車体です。
こちらは初代のモハ140形電車・モハ141です。
でも、車番は701になっています。
モハ141 80.3.13 西武生 |
連結面も強烈です。
バッサリちょん切られています。
また、不思議なことに車体の車番は名鉄時代の701が残っています。
モハ142 80.3.13 西武生 |
もう一両の相方はもっと強烈です。
殆んどお化け電車?
モハ142 80.3.13 西武生 |
こちらも、凄い!
モハ142 80.3.13 西武生 |
車内も、凄い!
モ702 79.7.16 黒野 |
こちらは名鉄に残ってお化け改造を免れたモ702です。
番号ひとつ違いで、こうも運命が変わるのですね。
恐ろしいです~。
元気な時のモハ141 |
こちらは元気な時のモハ141の画像~Cedarさんサイトから借用しました。
Cedarさんの記事はこちら⇒ふくてつ電車カタログ
モハ3703 80.3.10 鶴来 |
同じく名鉄の息のかかったお隣の鉄道にもこの電車は配られました。
こちらは北鉄らしく正面はHゴムだらけの貫通化改造をしています。
乗務員扉も追設されています。
金魚の目玉を二つ並べたような奇妙な前照灯が気になります。
モハ141-1 80.3.13 西武生 |
次は二代目のモハ140形です。
モハ140形は色々な私鉄電車をかき集めてMMユニットにしたちょっと不思議な電車で、3編成ありました。
編成はモハ140-1形+モハ140-2形からなる2両ユニット編成で、武生新方モハ(-1を名乗る)に制御器系統とパンタグラフを装備、福井方モハ(-2を名乗る)にMGとCPを装備し、車内はセミクロスシート仕様で、客用扉間が転換クロスシート、後部の客用扉より連結面までがロングシートで構成されています。
主要機器は入線に際して全車統一されており、制御器は東洋電機製造製ES516型電動カム軸式制御器、主電動機はウェスティングハウス社製WH556-J6形を装備しています。
主電動機は不思議な搭載方法で、武生新方モハ(-1)に4個搭載なのに対し福井方モハ(-2)には2個搭載とアンバランスな装備となっています。
写真のモハ141-1は武生新方モハで、長野電鉄のモハ300形から改造されています。
モハ141-1 95.10.3 西武生ー武生新 |
こちらは塗装変更後のモハ141-1です。
モハ301 77.5.1 須坂 |
こちらがビフォアーの姿です。
長野電鉄のモハ300形電車は地味な存在でした。
長野からはモハ301、302に2両が福井に嫁ぎました。
それにしても、この変わり様は凄いですね。
モハ141-2 80.3.13 西武生 |
こちらは相方のモハ141-2です。
こちらは、名鉄瀬戸線で活躍をしていたモ900形の改造です。
名鉄モ900形 |
こちらが、ビフォアーの姿です。
自分は何故か撮り逃したので、またもやCedarさんのサイトから盗用です(こちら⇒名鉄瀬戸線、昭和44年)。
名鉄のモ900形は901から907まで7両が瀬戸線で昇圧まで活躍をしていました。
そのうちのモ910・モ902・モ907の3両を譲り受けました。
モハ3741 80.3.10 鶴来 |
こちらの900形も同じように北陸鉄道にも配られました。
こちらにはモ903~モ906の4両が譲渡されました。
こちらの4両は名鉄岐阜工場で両運転台仕様への復元改造をはじめ、北鉄仕様前面窓のHゴム固定支持化・妻面貫通化改造および客用扉の交換など各種改造を施工した上で譲渡されています。
モハ142-1 80.3.13 西武生 |
こちらは第二編成のモハ142-1。
基本的には第一編成と同じです。
モハ142-2 80.3.11 市役所前 |
同じくモハ142-2です。
モハ143-1 89.5.14 西武生 |
第三編成も武生新方の電動車(-1)は何故か長電からの譲渡車でなく、自社車両のモハ42から捻出して大改造を施されています。
正面形状も全く異なります。
モハ121-1 95.10.3 西武生 |
実車ズバリではありませんが、モハ42と似たようなスタイルをしていたモハ121-1です。
この車両と比較していただければ、どれで改造したか想像に難くないと思います。
モハ143-2 89.5.14 市役所前 |
相方は名鉄900形からの改造ながら、正面形状は第一、第二編成とは異なっています。
モハ142-1 80.3.13 上鯖江ー家久 |
モハ143-2 95.10.3 三十八社ー浅水 |
秋の田んぼを往くモハ140形。
18 件のコメント:
このタイミングで福鉄!
先日初訪問を果たし、いまさらながらカンドーしましたが、おっちゃん、Cedarさんともども早くから、っちゅうか40年も前からちゃんとカンドー的なお写真をををを~
すばらしいです!
140マソアクセス、お呪い申し上げます!
140万アクセスおめでとうございます!
福鉄140形懐かしいですね。
2代目が引退するイベントの時に福井まで行って乗りに行った事を覚えています。
やたらとフルノッチで走る割りにはよく揺れ、スピードも遅かった印象がありました。
何故かさようなら列車の運転手の方がオカッパ頭だったのが一番ビックリしました。
福犬殿
良い事ありそうなお名前!
駄菓子菓子!
なかなか良い事はありませぬ・・・
お呪いありがとうございます(おまる核爆)!
宵闇さん
ありがとうございます!
吊り掛け電車としての新形式としては一番新しい部類になりそうなこの電車も結構引退から時間が経ちました。
おかっぱ頭の運転手はちょっと驚きですね〜。
キリのいいようなそうでもないようなアクセスキリ番おめでとうございます。
福鉄の鬼改造はCedarは大好きですが、ふつうは嫌われるんでしょうね。そもそもステップつける時点で鬼改造ですから・・
140っていうとCedarは京急だなあ・・
おかっぱ頭の運転士~大木凡土みたいな?
2両で窓配置も同じようだけど、よく見るとあちこち違う。じっと見ていても飽きない電車でした。
モハ141-2の前面は、末期のクハ47みたいですね。
140万アクセスおめでとうございます!!
で、今回もすばらしいお写真ありがとうございます
福鉄140は写真撮ったことありますが
4〜5枚ですぅぅぅ嗚呼〜
例によっていつものやつですぅぅぅ嗚呼〜
なのでchitetsuさんの写真で楽しませていただきまーす
昨日はキンチョールしてしまいました。すみません!!
Cedarさん
貴重な画像を勝手にお借りしました。
ありがとうございました。
福井鉄道の電車いじりは大失敗もありますが、結構楽しいですね。
地鉄電車製作のヒントになっています。
京急の140形は琴電屋島で成れの果てしか見ておりませんです〜。
モハメイドペーパーさん
統一感を意識しつつも合わせきれなかった、という感じでしょうか?
正面腰板部分の方向幕が頂けませんね。
青春Mさん
マルーンパパラッチ+わんわんお守り、お疲れ様でした!
今度はゆっくりお話ししたいですねー。
数秒じゃなくて・・・・
コメントありがとうございました。
あー、むこう向きだけど撮ってた(笑)
http://blogs.yahoo.co.jp/de_eb_zzzz/32042982.html
140マソ、おめでとうございます♪
140万アクセスおめでとうございます!
福井鉄道の140形、初代も二代目もかなり弄られていますね。
初代の名鉄モ700形は、昇圧が進み余剰廃車になったものですが、北陸鉄道の車輛とも比較的も早く姿を消しました。
本家に残った車両は平成まで、同系のモ750形に至っては21世紀まで生き残りました。
二代目は面白い組み合わせですね。
主電動機のWH556-J6形は1500Vの手動加速用として巾広く使われていました。
代表的なものは愛電系で合併して名鉄になる迄幅広く使われ、昭和30年代以降は3700系~3780系に流用されました。
長野電鉄は自家発注吊り掛け車に採用していたので、青ガエル導入時の廃車発生品かもしれません。
実は、モ900形も知多鉄道デハ910形として登場してから3730系に足回りを譲るまでH556-J6形を装備していました。
つまり、福井で15年ぶりに昔の主電動機に戻ったことになります。
モ900形は贔屓の車輛だったので、福井と北陸へ譲渡された後の姿を見たときはがっかりしたものでした。
福井鉄道らしい鉄道タイプの車両が路面区間を走る光景も長くないようです。
すみません、書き忘れがありました。
初代クハ140形の前身は瀬戸電気鉄道のガソリン動車キハ300形で、瀬戸電気鉄道のホームが路面電車並みに低くステップ付でした。
つまり、最初と最後が路面から乗降するためにステップ付だったのです。
赤影さん
自分は向こう向き撮ってないんです。
片割れのガソリンカーは何故か先に壊しちゃったらしいです。
お祝い、ありがとうございました。
元・いきもの部長さん
譲渡先よりご本尊のほうが長生きをしたというのも皮肉ですね。
電動機の件、コメントありがとござます。
これも運命の悪戯でしょうかね。
モ900形は私も好きな電車でしたので、ちょっとコレは・・・と見たときに思いました。
引き続き、元・いきもの部長さん
相方のガソリンカー改造制御車もいろいろな人生という感じですね。
この電車、見たかったですが行ったときには解体済みでした。
140万アクセス、おめでとうございます。
福鉄140系2代目、長電流れとは知りませんでした。所変われば、というかインターアーバン風味にすると全く違う雰囲気になるのですね。けれども素性を気にする事なしで違和感なく馴染むという意味では地鉄電車の本流を体現している車輛でしょうか。
道草人生さん
コメント、ありがとござます。
電車もどんな運命を辿るか分かりませんね。
地下化工事で捻出された長電の電車は結構引き取り手が多く現れました。
大手私鉄ではない電車の再譲渡の中では一番嫁ぎ先が多かったのではないでしょうか?
1977年当時はまだ吊り掛け電車でも中古車としての価値があった最後の時期なのかもしれません。
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