75.9.28 尾久ー上野 |
最初から酷い写真で失礼しちゃいます。
中坊時代の、親のカメラ借用に漸く許可が出て撮り出した最初期の写真です。
露出もピントも当然マニュアル、そしてその結果もこんな有り様です。
でもこんな写真でも自分にとっては結構愛おしいものです。
手前の親子に目が行って撮ったものと思います。
77.7.27 白岡ー久喜 |
こちらはそれから2年後の白岡行きです。
列車は東北本線404レ急行『津軽』です。
編成全てが旧型客車で構成されていた時代でした。
EF58 69 77.7.27 白岡ー久喜 |
数を減らしながらも長距離鈍行も残っていました。
こちらは122レ、客車には32系も使用されていました。
77.7.27 白岡ー久喜 |
こちらもそれなりに貴重だった普通列車123レ。
どうしたわけか後追いだけしか撮っていません。
そのうえ、友人の姿まで映り込んでいます。
EF58 61 84.12.2 荻窪 |
これは何のイベント列車だか忘れましたが、お召し機が牽引するというので、高校生時代に良く配給電車を撮った荻窪駅の高尾方で待ちました。
今見ると勾配標の扱いとか、何考えていたのかと叱責したくなるような、なんちゃって写真です。
EF58 61 88.12.25 津久田ー敷島 |
同じEF5861号機、こちらはオリエント急行の最終運行時に実現した運行です。
EF58 116 83.12.6 高田馬場ー目白 |
高田馬場付近のビルから池袋方向を俯瞰して荷物列車を撮っていました。
併走する山手線は今は懐かし103系です。
クハ103-283(上)、EF58 116(下) 83.12.6 高田馬場 |
荷物列車はのんびり走っていました。
ちょうど眼下で山手線電車と頭が並びました。
EF58 130 78.12.3 上尾ー宮原 |
こちらは当時一本だけ残っていた上野発信越線の普通客車列車です。
早朝の上野を発って高崎で大休止後に横軽を越えて長野を目指す列車です。
牽引機は高崎まではEF58でした。
今なら上野からEF62が牽引しそうな気がしますが、このあたりが『国鉄』なのでしょうね。
早朝の上尾付近でその列車を撮っています。
今ならもっと良い場所で撮るのでしょうが、この当時は電車での徒歩鉄、近場で妥協をしたのでしょうね。
EF58 89 96.11.4 田中ー大屋 |
こちらは電蒸プッシュプル(こういうのはプッシュプルとは言わないのか?)の信越線イベント列車です。
16 件のコメント:
やっぱりまだヤルんかー(おまるゴハチ)!?
小学生の頃、EB58、ト、ワムしか持っておらず、金持ちクラスメートに「なんだ、そのチビ機関車は」と馬鹿にされました。
しかし、彼が所有していたのは、ED58でした。
ところで馬場はBIG BOXですか?
中堅×忠犬ゴハチ公どの
まだやるんです~。
もう秋田???
シク鉄さん
小学生時代のお話、笑えました!!
私は何故か従兄弟からもらった3線式のOゲージEB58を持っていました。
いつかボロボロにしちゃって処分してしまったのが今となっては残念です。
ババは大きな箱の上だったと思いますが、記憶が飛んでいます・・・。
いやーん もっとやってください!!
その3回目楽しみにしてまーす♪
122列車、ガキの頃赤羽→上野でよく乗りました。
が、大概遅れ生じての到着でした(苦笑
当時は43系主体でたまに軽量客車や42系が混じる編成。
前2両は回送車で乗車できなかったのですが、別運用で北行き列車に用いていたのでしょうか?
国鉄嫌い?なCedarですが、我が家の模型鉄道には、かの鉄道模型社製EF58が在籍していたんです。メカ好きの父が手を入れ、2個モーターで強力な上に、先台車の首振り拡大で400Rも通過しました。ツボミのブリキ製客車を牽いて米粒球ヘッドライトを輝かせて走る姿、モーターやギヤの油が焼ける匂いも懐かしいです。
なんか違う話ですみません。
青春Mさん
リクエスト、ありがとうございます!
でも、これでネタ切れですぅ〜。
12号線さん
遅れは長距離鈍行の宿命ですかね。
手前に付いている回送扱いの二両がどうゆう目的なのか不思議です。
Cedarさん
鉄道模型社のEF58ですか!
私は見たこともありません。
当時の模型のプリミティブな構造や走りっぷりはどこか懐かしいですね〜。
一枚目の写真、良いですねえ。今の平成の親子も昭和の親子と同じことをしています。40年前の情景が時代を越えて重なり、ちょっと目頭が熱くなってしまいました。
道草人生さん
ピンボケ画像に勿体無いコメントをありがとうございます〜。
親子の風景は時代が変わっても良いものですね。
これからはこう言う風景を鉄道と絡めて残していきたいです。
私はこの趣味を始めた頃からのゴナナ好きなのでゴハチ愛は希薄です。
当時は数が多く珍しくなかったことも一因かもしれません。
一番の思い出は上野駅へブルトレはくつるの撮影に行ったことでしょうか。
よん・さん・とおで583系に置き換えられることを知り、今で言う葬式鉄に出掛けました。
それは、長年続いた栄光の特急牽引がこれで終焉となるからでした。
まさか、ブルトレ牽引機として大復活するとは思いもしませんでした。
その頃、友人が持っていたのはED58、私はED100。
ここでもゴハチ愛は希薄でした。
前向きでないコメントになってしまい、すみません。
ゴナナの次に好きなED19が出てくることを楽しみにしています。
元•いきもの部長さん
私もそんな感じでした。
皆がゴハチと言っていたので、天邪鬼な私は反発していたこともあった気がします。
今考えればクダラン反発なのですが•••。
東北本線上野口の客車ローカルは53-10改正までは3往復がいて、うち1往復は仙台より先の一ノ関まで行っていました。また、高崎線の方も同じく53―10改正までは2往復の客車ローカルがいたのですが、53-10改正で東北線の方は全廃になり、高崎線の方も1往復(2321レ、2326レ)だけになりました。
高崎線客車ローカルの機関車なのですが、57-11直前の所定はEF62型(信越線から直通したか高崎で付け替えたかは不明)でしたが、実質的にはEF58形と混運用だったようで、乗車記録を探してみるとEF62形が牽いたりEF58形が牽いたりといろいろだったようです。
原口さん
53-10改正までは各方面に僅かながら客車列車が健在であったことも今となっては良く残っていたな、とも思えます。
特に常磐線等103系ががんがんぶっ飛ばす線路を扉開けっ放しの客車がはしっていたわけですから、今考えるとアブナイですね。
高崎線の牽引機は所定がEF62とは知りませんでした。
自分が見た3回は全てEF58でした。
これはラッキー?アンラッキー?
コメント、ありがとうございました。
コメントを投稿