様々な列車や路線の改廃が行われる中でも、やはり北陸新幹線開業が一番の目玉なのは間違いないでしょうね。
マスコミの報道も駅のポスターも旅行会社のパンフレットもあっちでもこっちでもこの話題で持ち切りです。
東日本大震災から4年。
この間そんな報道をされたばっかりですが、関心は東北から北陸方面に向かってしまっている感じで、観光客が東北から北陸に流れそうなのも気になるところです。
でも、自分の地鉄電車のイメージの源泉になっている北陸地方の去就も気になるところで、結局は頭の中の整理がつきません。
ちょっとどうしようか悩んだものの、以前の北陸旅行の記憶を整理するのには良いチャンスですので、やっぱり北陸の話題でまいります。
14.3.11 上野 |
東京と金沢が約2時間半と格段に便利になり、ほくほく線どころか客車列車の急行『越前』や『能登』などの夜行列車で一晩かけて行く場所という古いイメージを拭い切れない私は、既に時間の流れに付いていけません!
クハ489-3 10.1.22 上野 |
こちらは北陸方面へ行くのに最後に乗った夜行列車、急行『能登』。
冬場は車両や座る場所で随分温暖の差があることを知りました。
そして、新幹線開業・その裏側では、ご存知のように様々な鉄道路線や車輌が犠牲になって最後の日を迎えました。
本日はその犠牲になってズタズタになった北陸本線と信越本線の姿を回顧してみたいと思います。
15.2.14 長野 |
恐らく、微妙な気分の長野駅。
長野の人はここが終点のままで良かったと思っている人が結構いるのでは?
87.8.14 黒姫 |
こちらは先日の北陸新幹線試乗の折も行ってきた黒姫です。
今より駅に活気があった気がしますね。
15.2.15 黒姫ー妙高高原 |
その時は駅の近くで115系電車をパチリ。
北陸新幹線に浮かれて試乗したクダランお話はこちら⇒週末は金沢へ。
photo by わんわん |
先日はこんな列車が走ったらしいです。
見たかったなあ~!
腹いせに、、、、、、、
わんわんサイトから無断転載します。
87.8.14 妙高高原ー関山 |
一昔前の信越本線は、長い編成のあさまや・・・
87.8.14 妙高高原ー関山 |
コカコーラ電車などが走っていました。
92.7.3 二本木 |
こちらは二本木駅。
EF62 54 92.7.3 二本木 |
そして二本木ではスイッチバックを行く貨物列車を見ています。
既に相当数の仲間が居なくなった後のEF62、最後の活躍の姿を記録しました。
06.10.14 高田 |
信越線、日常の光景です。
立派な上家に長いホーム。
幹線の中堅駅の典型的な姿ですね。
C57180 06.10.14 高田 |
この日は偶然こんな列車にも出喰わしました。
信越線直江津~関山間開通120周年を記念した特別運行であったようです。
沿線はパニックになることも無く、至極平和に地元のおじさんたちと写真を撮りました。
3セクになったら『130周年記念号』なんて、きっと走らんでしょうね。
82.10.10 直江津 |
信越本線は日本海に突き当たって右折します。
信越本線は電車列車でしたが、直江津から北陸本線方面では客車列車が全盛でした。
頸城2号機 82.10.10 直江津 |
直江津では頚城鉄道本社に保存されていたコッペルや・・・
82.10.10 百間町 |
頸城鉄道の痕跡をもとめて百間町などを見に行ったことがありました。
ホハ3 82.10.10 百間町小学校 |
百間町では以前の駅施設が未だ残っていました。
そんな風景を見ながらこんな客車も見てきました。
昔の百間町近くの百間町小学校には頸城の客車が保存されていました。
雨晒しで車体がかなり歪んでしまっていました。
DC92(左)、ホジ3(右) 06.10.14 百間町 |
現在、このような形↑で頸城鉄道の車両たちが復活するなんて、夢物語の頃の事です。
綺麗に復元された仲間たちは走れるようにさえなってこれまたびっくり。
俊足ほくほく線を使って見に行きました。
この百間町に元から残っていたホハ3はその後どうなったのでしょうか?
きっと適当に扱われて、使い捨てにされたのでしょうね・・・。
EF81 147 92.7.3 直江津ー黒井 |
庇付の機関車、好きです。
EF62 54 92.7.3 直江津ー黒井 |
ここ黒井付近は引き続き信越本線がこれからも存続する区間ですが、既に信越とは言えない路線状況になってしまいました。
次は糸魚川です。
82.10.10 東洋活性白土専用線 |
奇跡的に残っていた東洋活性白土の専用線もいよいよおしまい。
友人と出掛けました。
82.10.10 東洋活性白土専用線 |
工場の構内には線路が張り巡らされていました。
工場建物も由緒ある立派な建物が多く建っていました。
82.10.10 東洋活性白土専用線 |
本当に小さい機関車が活躍をしていました。
こちらは実用機としては国産最後の機関車として製造された協三の機関車。
82.10.10 東洋活性白土専用線 |
大きなポプラの木の下で・・・・
82.10.10 東洋活性白土専用線 |
ちっちゃな機関車が重連で・・・・。
82.10.10 東洋活性白土専用線 |
羅須地人協会主催のこのイベントは様々な列車が往復して夢のような一日でした。
東洋活性白土は経営上の問題により1982年10月に会社は解散し、工場は閉鎖されました。
EF81 37 82.10.10 糸魚川ー青海 |
そしてその脇を走る北陸本線ではこんな列車や・・・
82.10.10 糸魚川ー青海 |
こんな列車が走っていました。
例によって悪い癖でとっきゅうれっしゃは撮っていません・・・・。
この区間は今日からは、何と架線があるのにこの写真のように気動車になっちゃうらしいです。
交直切り替えの弊害が思わぬ形で顕在化したと言うことでしょうか?
九州ではデッドセクションが無いのに気動車にしちゃった三セクもありますね。
電車⇒気動車化は過去良いことは一つもなかった気がするのですが、大丈夫か?
何か、バカみたい・・・。
EF81 31 82.10.10 糸魚川ー青海 |
こちらは、糸魚川を発車する北陸本線上り列車。
国鉄らしい、輸送需要お構いなしの長編成客車列車。
おかげで、どこでも座り放題でした。
04.10.10 青海ー親不知 |
日本海をバックに走るボンネット特急『はくたか』。
『はくたか』も新幹線開通で御用済みですね。
HK100-102 06.10.14 直江津 |
ほくほく線はどうなっちゃうのでしょうか?
正に政治的に翻弄されて使い捨て状態?
ローカル輸送ではどう考えても立ち行かなさそう・・・。
09.8.22 入善ー西入善 |
夜が明けきらない入善を快走する急行『能登』。
先日の富山ゆき(こちら⇒週末は富山へ)はこの列車が無くなったので、止む無く富山地鉄の夜行バスで行きました。
快適といえば快適。
安いと言えば確かにお買い得。
でも、何か足らんです!
夜行列車の消滅で旅の楽しみは3分の2ぐらいになっちゃったような気がします。
この頃はまだ何本もの夜行列車が走っていました。
91.11.4 電鉄石田ー電鉄黒部 |
富山県に入って最初に私鉄に会うのはこちら。
JRの列車が地鉄電車の線路を走って自社線を跨ぐという光景は過去のものになりました。
そして、今日からは下の鉄道にも富山地鉄の資本が入って、どちらも私鉄線になりました。
この日を今は無き富山地方鉄道創業者の佐伯宗義はどう思ってお墓の中から見ているのでしょうか?
佐伯宗義の野望はこちら参照⇒http://ktymtskz.my.coocan.jp/kansai/saeki.htm
モハ14792 91.11.4 電鉄石田ー電鉄黒部 |
京阪電車と富山地鉄初の高性能電車のコラボです。
91.11.4 生地ー黒部 |
下のJR線はいよいよ終焉を迎えた急行型がしょっちゅうやって来ていました。
12.4.29 魚津ー滑川 |
こちらもお馴染みの今回消えた列車ですね。
デ5019 80.3.9 富山駅前 |
富山駅前をゆく、今は無き射水線直通運転のデ5019です。
射水線はこちら⇒1980年春北陸電車めぐり。
デ7012(左)、デ5038(右) 80.3.8 富山駅前 |
今も現役な都電コピーのデ7000形とツーショット。
車輛の大きさってこんなに違うのですね。
デ5019 80.3.9 富山駅前 |
射水線直通運転の電車は富山駅前で折り返します。
下り電車として転線中のデ5019。
14.11.7 富山 |
新幹線開業に合わせた改装工事で矢鱈迷路になっていた富山駅。
仮囲いが浮かれた祝賀気分になっています。
14.11.7 呉羽ー富山 |
最期の活躍をする国鉄急行型電車の奥には新幹線の真新しい線路が・・・。
この時のお噺はこちら⇒週末は富山へ。
14.11.8 倶利伽羅 |
この駅が二つの鉄道の接続駅になるなんて、ナンセンスの極み。
悲しくなります。
倶利伽羅峠の様子はこちら⇒翌日は金沢へ。
次は金沢です。
14.11.8 金沢 |
・・・・・。
キハ20353 80.3.11 金沢 |
雪が降る地平時代の金沢駅に停車中の七尾線列車。
玉石混交、当時はあちこちで見られたチンドコ長編成です。
EF70 15 81.9.2 西金沢 |
西金沢駅に停車中の初期型EF70。
この駅には現在新幹線の高架がどでんとのしかかっています。
モハ5101 91.11.4 内灘ー粟ヶ崎 |
ちょっとスピンオフして雨上がりの街道を走る浅野川線電車。
モハ5101 91.11.4 粟ヶ崎ー蚊爪 |
北陸鉄道浅野川線もすっかり世代交代をしてしまいました。
91.11.3 粟津 |
様々な信越、北陸を支えてきた車輛たちも、昨日でお別れです。
お疲れ様でした。
15.2.15 金沢 |
良くも悪くも新しい北陸の幕開けではあります。
12 件のコメント:
在来線で東日本線にJR-Wの車両が定期で乗り入れるのも、今改正で終了でしょうか。
新幹線は鉄道躍進の象徴でもありますが、一方で衰退を招く劇薬的な存在な面も否定できません。
12号線さん
早くなって便利になる反面、その下で犠牲になるものが今回は特に多いような気がします。
東京一極集中に拍車をかけるのも疑問ですね。
北陸新幹線特集、沢山の写真恐れいりました。東洋活性白土まで出てくるとは! あんな会社が存在していたことが夢のようですネ。
うっわああああああああああああああ!
一大スペクタクルやないかー!
すばらしい!
1.東洋活性白土専用線、写真でしか見たことないけど、こうしておっちゃんの写真で見るとなお格別
2.今回ほくほく線に乗りましたが、存在すら知りませんでした。
なんであんなごっついもん作ったの??
3.おっちゃんの写真に1枚オレのんが入ったらオレのんだけ質の低下が免れないことがよくわかりました(糞爆)。
北陸新幹線、ホンマに呪いやわ~~
こんにちわ。
3月14日と言えば、今から30年前は、新幹線が上野まで延長開業した一方、
在来線からは、様々な列車や、食堂車が姿を消した日でした。
同じ3月14日でも、今回はさらに残念な事が多い様に思います。
思えば、国内旅行も殆ど行かなくなりましたが、新幹線での移動が中心と
なった現在、普段、出張で乗る機会の多い新幹線利用と重なり、
非日常という旅行の楽しみを感じ難くなったからかも知れません。
katsuさん
東洋活性白土の専用線、今考えると1980年代までよく残っていたものだと思います。
それも機関車は蒸気機関車だけだった訳ですから、化石のような存在でしたね。
わんわん線どの
1、生きた化石のような存在でしたから、一般的じゃないですのでご安心を。
2、それ知らないのは鉄として困ったものです。御乱心を。
3、
そんな、ご謙遜を〜!
nnishi1968 さん
上野延長開業から30年ですか〜。
早いものですね!
色々な場所に行くのには確かに便利になって来ましたが、それと引き換えに失ったものは多すぎる気がしますね。
北陸新幹線の開業で、富山県民から「かえって不便になった」という声をよく聞くらしいです。大阪方面への直通特急がなくなって、金沢駅での乗換えを強いられるのがなんとも億劫だ、腹立たしいということです。これは、「別会社になった北陸線に直通特急を走らせると新幹線の客が減る」という、偏にJR西日本のわがまま、自己中心主義の弊害だと思われても仕方がないでしょう。JRでも新幹線と在来線の直通運転にレール幅を変換する「フリーゲージトレイン」の実験が進められているので、これを早速実用化してせめて今回の開業に合わせて金沢駅にその変換設備を設置して、富山まで(一部は「上越妙高」まで)の新在直通運転をできなかったのか、と思います。新幹線が福井、敦賀と延びてきたら、それぞれの時点でそっくりそのまま移せばよいのです。肝心の関西方面での「東海道」との接点がいまだに決まらず、このままでは宙ぶらりんの状況が続く恐れが大きいのです。北陸3県は、「天下の険」と歌われた「親不知」の断崖絶壁と、その南の立山連峰の山並みによって東側の新潟・長野両県との行き来を遮られ、文化的にも方言などでも関西との結びつきが強く「西日本」と見られることが多かったのですが、金沢以東が先に開通して東京へ一本で結ばれると、北陸地方の人の流れが関西から関東へ移り、関西経済の地盤沈下を招いてしまう恐れが大きくなるかもしれません。
北陸線の平行区間は、今回の開業時点ではまだJRのままでもよかったと思います。交直両用電車が馬鹿高くてディーゼルで我慢せざるを得なかったらしい「ときめき鉄道」は、「つくばEXP」から混雑の激化で早晩運用に支障を来たしそうなセミクロスシート車を譲り受け、寒冷地向けに改造して使ったらいかがでしょうか。
糸魚川には、20年ほど前に訪れたことがあり、「翡翠の博物館」などを見ているのですが、「東洋活性白土」のものだったと思われるミニSLが、「谷村美術館」という民間の美術館の門の前に、雨ざらしで無造作に置かれていたのを見たことがあります。美術館はその後閉鎖されたらしく、そのSLは今はどうなったのでしょうか?
伊豆之国さん
富山から大阪方面へのアクセスの件は結構話題になっていますね。
これまで朝一番の始発で行けてたものが、もっと早い電車ができたのに行けなくなる、なんてやはり信じられませんね。
これは鉄道事業者側のエゴとしか言えない気がします。
おっしゃるように、もともとの文化圏を覆すことになる今回の開業は今後どんな影響を及ぼすのか不安な気がします。
未だに東京一極集中のための新幹線計画はもうたくさん。今日一日TVのバカ騒ぎを見ているとため息が出てきました。並行在来線の廃止(3セク化)は新幹線計画に積極的でなかったJRに金権政治家が許した愚策です。少なくとも富山~金沢間はJRのままにすべきでしたね。
富山地鉄や北鉄に何かプラスになればまだしもですが・・??
Cedarさん
おっしゃる通り!と私も思います。
これからの日本をどうしたいのかよくわからない部分がいっぱい今回の開業にはありますね。
特に富山ー金沢は当面JRでやるべきな気がします。
新幹線が出来て、大阪にこれまでより朝の到着時間が遅くなるなんて、考えられません!
コメントを投稿