お陰様を持ちまして弊『吊り掛け電車をもとめて』は80万アクセスを通過致しました。
ありがとうございます!
そこ今回は回は既に70万アクセス時に70系特集をやっている事からも予想がつきそうな80系電車の特集であります。
80系湘南電車は御存知の通り日本の電車文化を定着させる礎になった電車であります。
クハ86113 76.9.5 東京 |
元祖湘南電車の東海道筋の東京駅に停車中の80系電車です(この記事は以前アップしています⇒純正『湘南電車』)。
既にほぼ100%新性能化されていた東京口にあって唯一1運用だけ残存していた静岡持ちの80系電車を見に行ったのはいよいよ引退が迫った時でした。
ホームでは『今度の電車は冷房もグリーン車もありません』とアナウンスされていたのが印象的でした。
この電車には横浜まで名残乗車をしました。
結局本家東海道筋東京口から撤退したのは1977年。
もう少し見にゆけば良かったと悔やまれます。
クハ86105 77.6.5 熱海 |
熱海に停車中の80系電車。
熱海は今も昔も電車運用の境目です。
クハ86082 77.6.5 金谷ー島田 |
東海道筋を長編成で運用される80系電車。
当時の普通列車は通常的に長編成で運用されていました。
同じ場所を現在は3から6両程度で走っているのを考えると隔世の感があります。
クハ86340 77.6.5 金谷ー島田 |
茶畑の中を往く湘南電車はやはり絵になりますね。
クハ86025 77.12.21 姫路 |
私が写真を撮れる年齢になった時には京阪神区間からは80系は引退していました。
実見した80系は東海道線は米原までで、次は山陽線の姫路に飛びます。
姫路で見たこの電車は快速運用の岡山行でした。
先頭のクハ86025は湘南顔の最初期車の一両です。
クハ86003(左)、クハ115-86(右) 77.12.21 岡山 |
115系と顔を並べた3枚窓の1次車です。
正面3枚窓の1次車は山陽筋にほぼ集結していました。
そのせいもあって、3枚窓のクハ86は新鮮に見えました。
クハ86372 77.12.21 岡山運転所 |
岡山運転所で見た80系300番代です。
山陽筋の80系300番代は東海道筋とは塗り分け位置が異なっており、300番代以外の車両と塗り分け線を合わせているために窓下のオレンジ部分が極端に狭くなっています。
編成美を取るこの山陽筋塗り分けと個体美を取る東海道筋塗り分け、どっちが良いのでしょうか?
クモユニ81002 77.12.21 岡山運転所 |
オリジナルのクモユニ81は岡山だけに2両残っていました。
塗装が褪せていたり、順法闘争のビラの痕が痛々しかったですが、絵本や写真で見てきた実物に会えた時は感激しました。
クハ85102 77.10.3 高崎 |
山陽筋から再び東に戻ります。
東海道線から追い出された80系は各地に短編成化されて活躍を続けました。
最初に手がつけられたのは1等車のサロ85の先頭車化改造車でした。
高崎で見たこのクハ85はサハ87を改造したもので、サロ85の在庫が尽きてしまったためと思われます。
信越線の80系は横軽を越えて高崎までやってきました。
急行『天竜』 クハ86303 77.5.1 長野 |
こちらは長野です。
一見どこにでもありそうな80系4連ですが、吊り掛け電車最後の急行『天竜1号』です。
急行『伊那』・『富士川』亡き後の1973にキハ58系で運転されていた急行『天竜』を置き換える形で復活した急行電車です。
この急行・天竜は下り1号(上諏訪→長野間)のみに80系が運用されるという変則的なものでした。
この列車は撮影翌年の1978年まで生き存えたようです。
クハ86348 77.12.31 松本 |
松本であずさと顔を並べるクハ86。
中央線の80系は松本を起点に中央東線が甲府まで、中央西線は名古屋まで広範囲に運用されていました。
モハ80093 77.12.31 松本 |
松本運転所配置の70・80系電車はPS23を装備しているのが特徴です。
歩み板もその低く折り畳まれるパンタグラフのシューを避けるために切り欠きがあります。
大きな更新を受けなかったために却って初期車よりも原形を保っていたモハ80093と近代的なパンタグラフが印象的でした。
クハ86069 80.3.5 藪原ー奈良井 |
木曽路を走る80系は私にとっては一番馴染み深いものでした。
何度となく訪問、各駅間を良く歩いたのを思い出します。
クハ85311 80.3.6 釜戸ー瑞浪 |
釜戸から瑞浪の間を往く80系8連の名古屋行き。
80系は基本中津川以遠の区間で運用されており、名古屋口に顔を出す列車は余り多くありませんでした。
80系電車の中には他系列との混結で運用されるものが過去から存在しました。
先ずは新潟色です。
サハ85001 77.3.24 新潟 |
クハ化改造された車両が多く、原型を留めた車両は多くはありませんでした。
こちらのサハ85は新潟色に塗られて70系に挟まって活躍をしていました。
サハ87007 78.3.18 長岡 |
70系はサロ75はあっても一般車のサハが新造されなかったので、登場時から他系列サハと手を組んで走っていました。
次はスカ色です。
サハ87001 79.5.5 富士宮 |
スカ色のサハ87001。
何故かトップナンバーの001だけ飯田線に転属、流電のお相手として活躍をしました。
流電が80系に置き換えで引退する時に廃車になっています。
サハは置き換え時に不要になるので当然の帰結とも言えますが、歴史は皮肉なもんです。
クモニ83101 83.3.19 上片桐ー伊那大島 |
飯田線に転属したクモユニ81はクモニ83に改造されて長きに渡って活躍を続けました。
全線通しの荷電運用は2連で運用されていましたが、検査等の特別な事情がある時以外は必ずクモニ13とのペアで、クモニ83だけ、クモニ13だけの走行風景は見たことがありません。
最後はスカイブルーです。
クモユニ81003 79.3.22 松本 |
80系にとって場違いな大糸線に移動したクモユニ81003はなんとスカイブルー一色に塗られて活躍をしました。
個人的には最後まで見慣れることなく終わってしまいました。
クハ86313 82.8.29 城西ー向市場 |
こちらは渡らずの鉄橋を渡る80系電車。
クハ86342 79.5.3 水窪ー向市場 |
山岳区間の水窪付近を行く80系電車。
クハ86304 79.5.3 水窪ー大嵐 |
この付近は風光明媚で色々な写真が撮れるところですが、そういう所に限って列車本数が少ないもの。
ここで撮れればと思いつつ、移動したことを思い出します。
左からクハ86305、86317、86300、ED62 82.8.29 中部天竜 |
80系電車は奇跡的に事故廃車を出すことなく、1976年まで一両も仲間が欠けることなく活躍を続けて来ました。
ところが1976年に余剰廃車を2両出したのを皮切りに急速に淘汰が始まりました。
1977年に上記のように発祥の地である東海道本線東京口での運用が消滅、その後はあっという間に各地の置き換えが始まり勢力を減らしてゆきました。
最後まで運用された飯田線豊橋口の80系も1983年に119系電車に置換えられて本系列はすべての営業運転を終了しました。
最後の80系を置き換えた119系でさえ淘汰の対象となった現在、80系の活躍自体がずいぶん昔の話になってしまいました。
11 件のコメント:
・・・もう逝ったンカーああ嗚呼~~
2こすり半で80万!
おめでとうございます~~
こっちはアクセス総数が減ってます(大糞核爆)~
80万アクセスおめでとうございますCedarだと玉電とか京津線が出ちゃいますが、こりゃまた王道。さすがです。90万だと例の試作車?
初めまして。
いつも楽しく拝見させていただいております。80万アクセスおめでとうございます。
80系の写真懐かしいです。私はついに乗れませんでしたが、最近ロシアを訪問する機会があったので、エレクトリーチカに乗って、80系に乗った気分を味わいました。
20m車体で吊掛の中間電動車を用いた長い貫通編成、デッキ付きボックスシート、幹線を100km/前後で快走、など、80系に通じる部分が多々あるのです。
イヌ80殿
ありがとうございます~。
インフルで唸っている間に失礼しました。
でも、わんわん殿のところはコメンテーター多いじゃないですか!
Cedarさん
ありがとうございます。
玉電、京津線・・・。
それも良かったですが、国電から入った自分としてはついつい王道に逝ってしまいました。
90はちょっと捻ろうと思います。
清68さん
はじめまして。
コメント、ありがとうございます。
ロシアにはそんな電車があるのですね。
私も昨年台湾で吊り掛け特急に乗ってきました。
やっぱり吊り掛け音を響かせての高速運転は痺れます。
80万アクセスおめでとうございます。
80系写真の数々、楽しくかつ興味深く拝見しました。
幼少の頃、伊東の親戚を訪ねたときに乗ったかすかな記憶があります。
ところで、サハ87Tc化改造車がクハ86でなくクハ85というのは、由来に関係なく同一機能同一形式とする旧型国電の付番規則(例えば、3ドアセミクロスなら全てクハ68)に反していますね。
元•いきもの部長さん
ありがとうございます。
国鉄の付番はある時期を境に乱れて来た気がします。
クモハ43を3ドアセミクロス改造された時にクモハ51ではなくクモハ50になったのもそんな例じゃないでしょうか?
80系電車は、私の小学生の頃には東京近辺かからは見かけなくなったようで、記憶として残っているのは小学4-5年の頃だったか、静岡から浜名湖方面に行ったとき、この区間で乗ったのがおそらく80系に間違いなさそうだったことくらい。それから後も乗ったような記憶は余りなく、いつの間にか消えていたという感じでした。その頃の「追っかけ」の主な対象が、首都圏からも消える直前だった73系や、飯田線の50番台の形式の車両などの旧式国電で、「湘南電車」の塗装の80系には大して関心がなかったのでした。藤沢駅のホームに、80系の先頭部を模したkioskがありますが、これを見て昔の80系が活躍していた頃を思い出す人はどれくらいいるのでしょうか…。
「釣り掛け式の優等列車」というと、二昔余り前にまだ現役だった東武の5700系の急行に乗ったことがありますが、準急?にも運用されていたという名鉄瀬戸線から消えて以降は、今わずかに残っている地方私鉄でもせいぜいイベント時の臨時運転ぐらいでしょうか。
伊豆之国さん
そうですね、東海道線から80系電車が消えたから既に37年、湘南電車の姿をしたKIOSK作っても懐かしがることができるのは50代以上の人がせいぜいでしょうね。
吊り掛け式の優等車は既に海外でしか味わないものになって久しいです。
×岡山運転所→○岡山運転区
80系最初の廃車は1976年(昭和51年)ではなく、1977年3月クハ86004。年度が昭和51年度いっぱいだっただけ。
ちなみに、旅客営業列車は1983年2月24日が最後だが、クモニ83100番台は1983年6月末まで使用されている。
コメントを投稿