モハ72形についても63改造車の占める割合が高く、新製モハ72の500番代以降の車両や全金車は少数派に留まりました。
モハ72251 76.8.20 陸前原ノ町 |
仙石線では多数派の63改造モハ72形。
他の線区では荷物電車や牽引車に改造されて早々に淘汰されましたが、仙石線には何故か多く配置されていました。
モハ72562 79.3.29 宮城野原 |
こちらは500番代ではこれまた少数派のアコモBタイプ改造車です。
モハ72582 79.3.29 宮城野原 |
事故車の補充でやってきたもので、最後まで通風器は改造されませんでした。
モハ72937 76.8.20 陸前原ノ町 |
こちらも何故か通風器は改造されませんでした。
サハ78153 76.8.20 陸前原ノ町 |
サハ78形に移ります。
サハ78は基本63改造車しか無いようなものなので、当然のようにこのスタイルの車輌ばっかりでした。
サハ78368 79.3.29 宮城野原 |
新製サハ78形とはドアの開閉方向が違うので区別がつきやすいです。
6 件のコメント:
仙石たまご掛けおっちゃんおはようございます。
いやー
読み応えのある仙石線シリーズですねー。
モケーを作る前に読みたかった(核爆)・・・
つぎは3扉特集でしょうか(勝手に大糞)!?
たのしみにしております~
79154の顔、最後はあんなんになっちゃってたんですね・・・
真ん中だけ木枠の時代の異様な顔が大好きでした!
仙石バクハツ犬殿
仙石線の73系電車は色々なバラエティがあって何本も欲しくなっちゃいます。
わんわん殿ももう一本如何ですかぁ〜。
検査中に宮城県沖地震で転倒し廃車となったモハ72の代わりに、モハ72582は中原区から転入したものですね。
もし鶴見線の置き換えが同時進行で進んでいたら、モハ72970の移動もありえたのでしょうか?
12号線さん
確かにタイミング的に考えるとそれもあり得たのかもしれませんね。
もしそうなっていたとしたら、やっぱり他の73系と一緒に廃車になったのか、予備車化されて残るなんてことがあれば面白い展開があったかもしれません。
私が東北地方を初めて訪れたのは、高校に入った頃、昭和40年代の後半になってからでした。当時、親父が仙台方面に何度か出張で行っていて、「それなら家族でも」と言う話になったようです。松島初めてを訪れたのは確か夏休みのことで、東北線で松島駅に降りてバスかタクシーで海岸に向かい、遊覧船に乗ったこと、湾内の「桂島」だったかで泳いだこと、高台のホテルに泊まったこと、翌日は松島海岸駅に出て、仙石線に乗って仙台駅に戻ったこと…。当時の仙石線は、車両のことまでははっきり覚えてはいないのですが、「緑の山手線」のような色に塗られた「元・チョコレート色の旧式国電」といった感じだった気はします。
松島は、先の大震災でも津波の被害は奇跡的に少なく、海辺の土産物屋などももちろん浸水の被害は受けたものの、割と早い時期に回復したようです。どうも湾内に浮かぶ大小の島々が「天然の消波ブロック」の役目を果たし、津波の勢いを弱め、松島の景観と町並みを守ったのでしょうか。野蒜駅で降り、松林の中を歩いてやはり海水浴をした記憶もありますが、仙石線は、その野蒜付近で津波の被害が甚大で、いまだにこの区間が復旧できずになっています。
伊豆之国さん
松島は地形的に津波被害は少なかったみたいですね。
野蒜駅周辺は電車撮りに歩いたり、友人の家があって海水浴にも行ったことがあったので、報道を見て目を覆うばかりでした。
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