この箱、懐かしいです |
この紙箱のケースも懐かしいですね〜。
高価だったリバーサルフィルムは必要最低限の駒だけを撮るケチケチ使用でしたので、枚数が少ないので通常はこんな感じでデータをコマメにマウントに書いていました。
デジタルになった現在はこんなこと最近は全くやっていませんが、当時は結構真面目に撮影データを記録していました。
ガラクタスライド箱 |
先日、リバーサルのスライドを探さないといけない用事があり、色々見ていたら未整理のガラクタスライドを入れた箱が一つ出てきました。
この箱に入れたスライドは『要らないけど捨てるのも忍びない』ものの寄せ集めだったのですが、時を経て改めて見て見ると結構面白かったので、スキャンして見ました。
そんなスライドから2回に分けてその一部を見ていただこうと思います。
クハ101-63 78.8 登戸 |
見事なまでに窓が全て全開です。
今考えるとこれだけ大きく開口部があるのはキケンな気もしますが、当時は当たり前でした。
窓全開口は非冷房であるため以上に桜木町での三段窓問題の影響が大きかったのでは、と思ってしまいます。
クハ100-88 75.1 津田沼? |
このクハ100、事故っていますね。
この後どうなったのかは判りません。
<1.10追記>
コメントいただいた内容から船橋駅構内事故車のようです。
以下はウィキペディアからの抜粋です。
『船橋駅構内追突事故
1972年(昭和47年)3月28日 午前7時21分ごろ
総武本線船橋駅で駅構内の信号機トラブルにより停車中の緩行線上り613C列車(中野行き、101系10両編成)に、後続の緩行線上り711C列車(三鷹行き、101系10両編成)が追突し、711Cの6両目が脱線し、758名が負傷した。死者は出なかったものの、朝の通勤時間帯で乗客が非常に多かったため、日本の鉄道事故としては被害者数が最悪の事故となった。
事故発生の直前、蕨変電所の送電線が断線したことにより信号系が停電し、そのため先行の緩行列車は船橋駅に停車中だった。信号系の停電で閉塞信号機、および場内信号機が消灯していて、通常であれば後続列車もこれを確認して直ちに停止の手配が取られるところだったが太陽の直射に幻惑されて消灯との判断が出来ず、後続列車の運転士は信号系停電時にATS-B型の警報が確認ボタンを押しても鳴り止まないことを知らなかったため、鳴り止まないATS警報に気を取られて故障ではないかとATSスイッチを操作しているうちに、ブレーキ操作が遅れて追突したものである。』
モハ3252 78.4 町屋 |
高架下の風景やいすゞエルフも懐かしいです。
キハ52132 78.6 新潟 |
後ろにはキハ35、キハ28が続いています。
見事な凸凹編成は、越後線でしょうか?
0けー |
場所・日時は不明です。
恐らく多摩川鉄橋ではないかとは思うのですが。
12 件のコメント:
0けー、でた~~!
しっかし、きちんとリバーサルで、
しかもきちんと整理されてるんですねー。
さすが大物は引き出しが違う!
ちゃんと引き出し売ってますかー(糞爆)!?
犬けー殿
おはようございます!
0けーに想定通りの反応、ありがとうございます〜。
この頃はネガ整理も趣味の一環という感じで一生懸命やってました。
デジカメなってからは、なんもやってませんが…
クハ101-88ですが、S43に発生した御茶ノ水での追突事故の追突側だそうです。
追突されたクモハ100-8ほかは証拠物件として置かれた後にS48で廃車とか。
推測ですが、このクハは復活したのではないでしょうか。
日暮里事故のクハ103を思い起こさせます。
訂正です。
クモハ100→クモハ101、クハ101→クハ100となります。
津田沼区のクハ100ですが、S47年4月に発生した船橋追突事故の追突側です。ATS絡みで裁判が長引いたのでこの場所に長い事置かれていました(S55年廃車)。
懐かしいですね。私も1970~80年代のリバーサルフィルムはマウントしています。
6×4.5や6×7判も、当時投稿していた出版社の意向でマウントしていました。
京成赤電が懐かしいです。
ブローニー判をスキャンできるスキャナーが少なくて、いまだにスキャンできていません。
追記です。大学時代に某プロラボでバイトしており、お客様の持ってきた新車の画像をいち早く見たことがあります。
某超有名鉄道カメラマンや、某鉄道誌出版社との取引もあり、いろいろと楽しい思いをしました。
12号線さん、匿名さん
コメントありがとうございます。
頂いたコメントから、記事検索してみました。
御茶ノ水の追突事故はクハ101-88、オレンジ色みたいですね。
船橋の追突事故がクハ100-88のようです。
改めてスキャン画像を拡大してみたら千ツヌ所属、クハ100ー88であることが確認できましたのでどうも船橋の事故車のようです。
同じ101系クハの88号車がそれぞれ追突事故を起こしていたらしく、運命的なものを感じました。
コメント、ありがとうございました。
つのすけさん
そうですね。
この頃はリバーサルはマウントするのが当たり前と思っていました。
でも、実際にスライドとしてマウントを活用したことはほぼ皆無で、どこか無意味さを感じていました。
その後、スリーブ現像が可能なことを知ってからは全てスリーブに変更しました。
多少の経年変化はあると思いますが、この時代のポジフィルムは、色調が軟らかいですよよね。しかも、このころのポジは感度が低いので晴れていないと撮りにくかったなぁ。
この写真もASA64か100くらいですか?
その当時は、満足していた色だったんでしょうが、ベルビアをはじめその後のフィルムはコントラストがかなり高くなって、現代から見ると、ぼやっと見えますね。
それが、時代の経過を感じる要素なのかもしれませんが。。。。。。
またフィルムの感度も低いのでASA64か100くらいですか?
当時のポジは青のエクタクローム、赤の
↑↑ 下の2行は削除漏れです、ゴメンナサイ
maru-ha殿
この当時はエクタクロームをいつも使っていました。ご存知のようにこのフィルム、ASA64(ASA自体死語?)だったので本当に晴天か止まった列車ぐらいしか撮れなかったですね。
その後のベルビア登場時はその色調にびっくりしましたが、当時のやわらかな色調も嫌いじゃないですね。
それにしても、リバーサルフィルムとは90年代半ば以降とんとご無沙汰してしまいました。
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