配置車両は戦前形と70系電車で、両毛線と共通運用をされていました。
その関係で、吾妻線にも70系が運用されるものの、基本的には吾妻線の列車は戦前型の40系列の電車が運用をされていました。
クモハ60080 77.10.3 高崎 |
高崎駅に停車中の吾妻線・長野原ゆきのクモハ60ほかの4連。
吾妻線の電車は多くが高崎まで直通していました。
クモハ60010 77.10.3 高崎 |
70系と分割して長野原ゆきとなるノーシルノーヘッダーのクモハ60010。
スマートな車体もこの塗り分けだとシルヘッダー付きとの区別が付きにくいですね。
クモハ60101 77.10.3 高崎 |
奇数向きのクモハ60101。
クハ55442 77.10.3 高崎 |
平妻・ノーシルノーヘッダーのクハ55442。
サハ57形から制御車化改造を受け、更に便所の取り付け改造も受けました。
8 件のコメント:
戦前形は70系の付属編成的な使い方もされていましたね。極めつけは70系+40系にクモユニ74が付いた7連。確かクモユニが逆向きだったかな。
モハメイドペーパーさん
70系+戦前形編成は良く見られましたね。
クモユニついた7連、自分は見たことがありませんでした。
吾妻線では、撮るなら戦前形が乗るならクハ77がお気に入りでした。
また古い映画の話題で恐縮ですが、ザ・ドリフターズの「なにはなくとも全員集合!!」に出てくる吾妻線(当時は長野原線)の茶色い戦前形を見てしまいました。
三等急電さん
乗るなら元一等車ですよね。
中央西線でもクハ85、乗っていました。
ドリフターズの映画に出てくる吾妻線の茶色い電車はビックリしました。
見させていただきました。
KATOで40系電車が数年前に再生産されているので参考にしました。
資料としては新前橋電車区にクハ二67(900)がいたそうですが、撮影されたころには整理されてのでしょうか。
taiitisさん
クハニ67はモハ30とともに横川までのローカル運用に就いていて、この撮影のちょっと前に一足先に引退していました。
新前橋電車区の戦前型は、ブレーキをARCだったか、新しいものに交換していました。床下を見ると、115系でもモハ114の床下に見られる、かまぼこ状の箱がぶら下がっていることで確認できます。
ドリフターズの映画の長野原線の戦前型電車は「我が心の飯田線掲示板」でも話題になったことがあります。
モハメイドペーパーさんの話の「70系+40系+クモユニ74」の列車は、昭和52年11月に日本交通公社から出版された「別冊時刻表 列車大カタログ」のP33に40系2連+70系4連+クモユニ74の写真が掲載されており、先頭の車は「クモハ41047」であることが確認できます。この本は旧型国電の写真も多く紹介されており、大糸線のクモハ40077とクモハ60022(P32, 33)、飯田線のクモハ42011(P34~35見開き)、流電(P38~39見開き)、御殿場線のクモハ73902(P46~47見開き)等が紹介されており、70系も両毛線の4連+クモユニ74(P45)が紹介されています。大糸線のクモハ60022は、末期はPS23搭載でしたが、当時はPS11だったことが確認できます。
他に、電車一般や機関車、気動車の写真も紹介されており、飯田線関連ではEF10形(P104-105見開き)、ED62形
(P88-89見開き)がありました。
原口さん
70系が両栓構造になっているのは知っていましたが、戦前形のブレーキ装置が改造されていたとは知りませんでした。
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