後に山形交通と合わせて訪問した時の記録です。
モハ3 87.9.26 善法寺 |
こちらはよく知られた善法寺鉄道資料館に保存されているモハ3です。
当日は休館日で中は見ることができませんでしたが、後に資料館自身が閉鎖されてみたいで、先行きが心配です。
モハ3 90.10.1 善法寺 |
こちらは3年後に再度訪問した時のものです。
昔日の善法寺駅舎に停車した状態で保存されているモハ3。
モハ3 90.10.1 善法寺 |
屋根もあって保存状態は良好でした。
モハ3 90.10.1 善法寺 |
反対側から見たモハ3。
蒲原鉄道のモハ11形とは兄弟車です。
モハ8 97.9.26 白山 |
元京王のモハとオリジナルのモハが編成を組んで画廊として使われていました。
モハ8 97.9.26 白山 |
モハ8のサイドビュー。
モハ8 97.9.26 白山 |
架線柱もあり、今にも走ってきそうな雰囲気です。
モハ5 97.9.26 白山 |
奥にあるモハ5のほうは、うまく撮れませんでした。
モハ8 98.11.23 白山 |
後にこちらも再訪問していますが、その時にはモハ5の姿は無くなり、残っていた元京王のモハ8もかなり荒廃してきていました。
その後は知りませんが、どうなったんでしょう?
心配です。
10 件のコメント:
懐かしいですね。この感じ。別の場所で撮っていたので、当方のブログもこのネタに乗せさせていただきました。^^
庄内交通の終点があった湯野浜温泉には、13年前に泊まったことがあり、記念館とは道路を挟んだ真向かいにある、駅名の由来となった名刹・善宝寺にもお参りしていますが、記念館のほうは既に閉鎖されてから結構年月が経っていたようで、駅舎も既に傷みが目立っており、裏側に回って柵越しに見た保存車両は、荒廃が更に進んで朽ち果てるのは時間の問題、というような感じがはっきり読み取れていました。その日が生憎の雨だったことも、寂寥感を増幅させていたように思えたのでした。湯野浜の温泉街にも、かつて電車が走っていたような面影は見つけられませんでした。
"Street View"を見てみたのですが、3年前に撮影された風景がまだ使われているようで、その時点では記念館の建物はまだはっきり見えるようですが、車両のほうは既に朽ち果てたのでしょうか…。
こんばんわ。
モハ8の方は、既に撤去されたそうです。数年前に写真を撮りに行こうとして調べたら、
撤去済みと書かれていて、がっかりした記憶があります。
2年ほど前に月山登山に行く際に立ち寄りましたが、記念館は閉鎖されてかなりの時間が経過しているようです。建物はあまり朽ちた感じはないのですが、肝心の電車は屋根の痛みが目立っており抜け落ちそうでした。社内になぜか人形が立っており、見た瞬間、オバケがいるかと思いました。画像では車両の周りにあまり草は生えていませんが、私が見たかぎり草ぼうぼうで草の間から車両が見えるという状況でした。記念館から空き地は電車が走っていたと思われるカーブ状になっていました。
ヘボ職人さん
しっかりキャッチしていますね。
この保存車はあっち向いたりこっち向いたりしている間に両数減って結局無くなっちゃいましたね。
残念な末路のようでした。
伊豆之国さん
善法寺の記念館は中を見ることなく閉館してしまいました。
今も残ってはいるようですが、随分荒廃しているようですね。
nnishi1968さん
貴重な京王中型車の生き残りは、二度目に見た時には悲しい姿になったのを見ました。
大概の保存車はこういう末路を辿っちゃいますね。
toboさん
2年前に行かれたのですか。
撤去されていないだけマシなのかもしれませんが、町中にあんな荒廃した施設があるのは如何なものかですね。
なんとかできないものなのでしょうか?
モハ8の状況、よそ様のサイトですが晩年のお勤めは動物たちのねぐらと化していたようです。
http://c5557.kiteki.jp/html/syounai-mona8.htm
昔は新宿へ大勢の社蓄運んでいたのが、最後は家畜たちの寝床へ転身。
それでも何故かほっこりさせられます。
12号線さん
最後は家畜小屋だったのですか!
電車の一生も様々ですね。
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