最初は活躍していた姿からまとめました。
晩年のグリーン車は朝晩のラッシュ専用車状態になっており、昼間はステンプラ独壇場になっていました。
故に、グリーン車撮影=早起きをしないとちゃんと撮れませんでした。
デハ1907(左)、デハ1901(右) 82.2.8 駒場東大前 |
京王線と異なり、井の頭線は吊り掛け車は吊り掛け車、カルダン車はカルダン車同士で編成を組んでいて(サハ1300を除いての話ですが)、混結はありませんでした。
左の電車は既にラッシュ輸送終了で富士見ヶ丘入庫電車になっています。
デハ1908 81.12.3 高井戸 |
デハ1912 81.12.3 西永福 |
朝の仕事を終えて、昼寝場所に向かいます。
デハ1903 82.2.8 駒場東大前ー神泉 |
デハ1908 82.2.8 駒場東大前ー神泉 |
奥の方に駒場東大前の駅が見えています。
デハ1904 79.10.24 駒場東大前ー池ノ上 |
デハ1912(左)、デハ1056(右) 79.10.24 駒場東大前ー池ノ上 |
高性能車デハ1000は3編成で少数派でした。
デハ1052 79.10.24 駒場東大前ー池ノ上 |
中間のサハは旧型車からの転用なので、窓割を含めて異なるため編成美を崩しています。
この写真でも中間サハだけ車体の裾が下がっているのがわかります。
デハ1805 79.10.24 駒場東大前ー池ノ上 |
同形式は中間改造車や中間封じ込め車が多く、先頭に立って活躍したのはこの一両だけでした。
デハ1805 79.10.24 駒場東大前ー池ノ上 |
交換されたパイオニア台車が違和感を感じさせます。
クハ1258 79.10.24 駒場東大前ー池ノ上 |
帝都電鉄時代のイメージを残した(実車は戦後生まれですが)顔を唯一見ることのできた編成でした。
14 件のコメント:
chitetsuさん、おはようございます。
井の頭線、1ってことは2や3が有るってことですよね?
ワクワクして来ました。
1000系の湘南顔、クライマー付の方が良いですね。
クライマーが付くと私鉄らしさが三倍増しですし。
1800形1805の台車はパイオニアでは無く、
同じ京王の3000系や5000系が履いていた東急台車と似てますね。
それに外側ディスクを付けたみたいな。
たしか1805の他、もう1両居たはずですが、
番号が思い出せません。
chitetsu殿、おはようございます。
今度は井の頭線で殺されるのですね?
ありがとうございます(爆)。
そうか、80年頃といえば井の頭線に毎日のように乗っていたのですがグリーン車の記憶が薄いのはぼくが起きるのが昼過ぎだったからですね(核)・・・
続編、楽しみにしてます。まずは1805を模型にしたいです!
マシュさん
井の頭線、想像通り何回かに分けて行きたいと思います。
お楽しみに。
1000系、私もアンチクライマー付きが顔が引き締まって良いと思います。
何故か関東では旧大東急系の私鉄にアンチクライマー派が多いですね。
1800形の台車、TS101でしたっけ、これはパイオニア台車じゃないんですか?
知りませんでした。
履いていたのは1804と1805の二両だと思います(そのうち写真が登場します)。
でも、旧型車には似合わないですね、この台車。
井ぬ頭線どの
おはようございます。
あの手この手で殺させていただきます(笑)。
グリーン車は朝寝坊さんには会えない電車ですね(夜も走ってはいましたが、酔っ払いで帰宅する人もきっと見れなかったでしょう)。
1805と1258のついた模型が欲しいです。
chitetsuさん、お疲れ様です。
デハ1805の台車は自分も詳しく知りませんが、
台車品番はTS-117ですね。
TS-117の画像を見るとTS800シリーズを元にした、
みたいな感じがしますが、どうなんでしょうか?
似たような台車では相鉄のTS-817、小田急のTS-826なんかも、
TS-117と同じような部類みたいな感じに見えます。
実は自分、外側ディスク台車は大好きです。
とくに1805や小田急4000形更新前みたいに、
外側ディスクと吊り掛け式のアンバランスが、
たまらなく好きで面白く感じます。
1805と1258の前面を見比べてみると、中央窓が大きい1258の方が、
1805より車体幅が広く見えるのは錯覚でしょうか?
たしか同じ寸法位の車体幅だったと思いましたが。
井の頭線の吊り掛け車の中で好きだったのは1900でした、お面とサイドのアンマッチがいいですね。
5連時代のチンドコ編成ぶりは、新京成か京阪か、って感じでこりゃまた良かった!
マシュさん
自分も調べてみました、TS-117ですね。
TSー101は京王線転用車の台車形式ですね。
1200と1800の車幅は諸元表を調べて見たら共に2744mmで同じでした。
窓の組み合わせで広く見えたり狭く見えたりという口ですね。
Cedarさん
井の頭線の1900は京王線の2700とはデザインが似て非なるものでしたね。
側面のデザインは編成的にもこちらのほうがしっくりきますね。
それにしても真ん中のサハやクハは窓割りだけは一緒なものの、外観はごちゃごちゃで面白かったです。
chitetsuさん、こんばんは。
井の頭線のグリーン車、なつかしいですね。
80年台になってから訪問したので、先頭車は湘南顔の1900系と1000系だけでした。
ラッシュ時のみの運行だったため、当時は平日ダイヤだった土曜日にでかけました。
(社会人になっていたのでウィークデーには行けませんでした。)
1900系は電動車だけなので、既存車にあわせた側面デザインにしたのかもしれませんね、
末期の井の頭線吊り掛け車は国鉄型主電動機搭載車に統一され、デハ1800はMT-30、デハ1900はMT-40でした。
それから、デハ1805のTS-117は枕ばねがコイルばねで、京急500系のTS-806を外側ディスク台車にしたような感じです。
マシュさんのコメントにある相鉄のTS-817、小田急のTS-826は、枕ばねが空気ばねなのでより高級です。
なお、TS-101は2700系→5070系が履いていた台車で、デハ1801~3などが京王線転属した時に改軌のために転用されました。
(って書いていたら、chitetsuさんもコメントにも書かれていました。)
元・いきもの部長さん
コメントありがとうございます。
そう言えば以前は土曜日は平日ダイヤ扱いでしたね。週休二日が完全浸透していない時代の名残でした。
井の頭線が国鉄形モーターで揃えられていたのはコメント拝見するまで気づきませんでした。
ステンプラやハイカラなイメージのある井の頭線ですが、意外と保守的な部分もあったのですね。
TS-117のようなタイプの台車はごく限られた事業者にしか採用されませんでしたが、後に小田急4000みたいに台車交換などで淘汰されていますので、問題点もあったのでしょうね。
はじめまして、よろしくお願いします。
入力方法がよくわからず、「匿名」になってしまいましたm(_ _)m。
さて、記事に「井の頭線は吊り掛け 車は吊り掛け車、カルダン車はカルダ ン車同士で編成を組んでいて(サハ1 300を除いての話ですが)、混結は ありませんでした」とありますが、通常はその通りでした。ところが、実は昭和30年代後半に、吊り掛け車とカルダン車の混結編成が、稀にではありましたが、なんと営業列車で見られました。
当時、カルダン車の旧1000系は、通常はMcMcX2の4両編成でしたが、一組のMcMcが検査などで入場したときに、残ったMcMcに吊り掛け車を1両つないで3両編成としたものです。
私が見た限りですが、吊り掛け車はいつもデハ1763で、渋谷方に連結されていました。
実際に乗車したことがありますが、加速時・制動時とも大きなショックなどはなく、スムーズでした。
残念ですが、写真はありません。記憶のみで失礼しました。
匿名になってしまったさん
はじめまして。
井の頭線でも吊り掛け+カルダン編成があったとは知りませんでした。
コメントありがとうございました。
デハ1763、そのままの姿で最後まで残っていて欲しかった電車ですね。
こんばんは。
井の頭線のグリーンの電車、幼い頃の微かな記憶に残っているような、曖昧ではありますが懐かしさは感じます。
ディスクブレーキが外側に付いた台車、吊り掛け駆動車が履いていたのですね。驚きました。
実は今まで乗ったことのなかった相鉄線を訪ね、同じような台車を興味深く見てきたところでした。こちらもJRなどとの共通設計の車両が増えるごとに、特異になった台車を履く車両も数を減らしているのだろうと思います。
井の頭線の穏やかだった日常の風景、武蔵野の緑のある街の様子を思い出しました。
お写真を一枚一枚、楽しい気持ちで拝見させて頂きました。ありがとうございます。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
風旅記 さん
旧型車体の電車にパイオニア台車は凄い組み合わせで私も最初見たときはビックリしました。
相鉄線もJRっぽくなって、独自の思想の車輌が減って来ていますね。
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