二回目は(も)中央線のオレンジ色とカナリヤ色の電車です。
78.10.14 御茶ノ水ー秋葉原 |
昌平橋から見た黄色い電車。
東京らしい風景で好きな場所です。
17.2.16 御茶ノ水ー秋葉原 |
風景は今も昔も基本的に変わりません。
クモハ101-3 78.10.14 御茶ノ水 |
御茶ノ水橋から見たカナリヤ色の電車。
クモハ100-30 78.10.14 御茶ノ水 |
聖橋と101系電車。
この風景もバリアフリー化工事で変わろうとしています。
クモハ100-31 80.2.27 千駄ヶ谷ー信濃町 |
いたずら書き電車です。
この種の電車は基本撮るのは避けていましたが、一本ぐらいは撮っておこうと思ったのだと思います。
クハ101-75 80.2.27 千駄ヶ谷ー信濃町 |
振り向いて撮ったいたずら書き電車。
ストのたびにいたずら書き電車が登場してガックリしましたが、この年辺りがその最後であったような気がします。
クハ101-9 82.3.29 阿佐ヶ谷 |
阿佐ヶ谷にてクハ101形先頭の快速線電車。
中央快速というと私はどうしてもこの電車のイメージが抜けません。
クハ101-13 82.3.29 阿佐ヶ谷 |
遠くに荻窪の青梅街道の陸橋が遠望できます。
クハ101-20 79.9.3 |
既に103系が入っていたこの頃は、夏場は非冷房の101系は特快運用には基本入りませんでしたが、たまには運用に入っていました。
クモハ101-31 78.10.12 荻窪 |
学生時代の定番撮影地、荻窪の環八交差地点にて。
79.1.19 荻窪 |
こちらは荒れた画像ですが、休日運転のみたけ、あきがわ号です。
クハ101-14 79.1.19 荻窪 |
振り向くとあきがわ号です。
後の3輌は武蔵五日市ゆきです。
15 件のコメント:
中央線の101系、特に御茶ノ水界隈は絵になりますね。
中央線・総武線・営団丸の内線と眺めていて楽しいものでした。
そうですね、意外と今もあまり変わっていないのも。
70年代末期の順法闘争・ストは酷かったですね。
車体にビッシリと貼られたビラや白ペイントでの落書き、また
その消し方には、私鉄沿線育ちの私にとっては呆れたと言うか
がっかりとしたと言うか…
101系の初期冷房改造車は210kVAのMGが編成辺り2両でしたので、
分割できないなど、運用上のネックも多かったものです。
基本的に特快は冷房車でしたが、ダイヤが乱れたりすると、非冷房の
101系ってこともありましたね。
『特快』の大きなヘッドマークを着けた101系冷房車は本当に
格好良いものでした。
モハ90の時代からのお付き合いになるけど、身近すぎてあまり写真は撮っていません。見た目とはうらはらに、冬は72系より寒い電車でした。
落書き電車のカット、下りだからクモハ先頭が先で、クハの方が振り向いての後追いだと思いますが。
モハ1005-モハ1006-クハ2003 さん
中央線の101系の御茶ノ水付近は良い風景ですね。
車輌が変わってもたまに撮っています。
ストライキ全盛時代は嫌気がしてほとんど撮っていませんでしたが、今考えると撮っておいても良かったのかもと思います。
101系の特快は恰好良かったですね!
モハメイドペーパーさん
建て付けはあまり褒められたものじゃなかったですね。
10系客車も寒かったですから、この頃新造の車輌の共通点なのでしょうね。
写真の順番、逆ですね。
おはずかしい・・・。
101系のお披露目ってのがあったのを思い出しました。
たしか東京駅の7番ホーム(懐かしい!)に展示されて中にも入れるというので、父に連れられて行ったのでした。当時の国鉄の力の入れかたが偲ばれますね。
そんな時代と落書き電車の時代の間に、国鉄も変わっちゃったんですね。
大阪環状線では73と101が共存した時期があり小学校の頃は片開きと両開きと言って区別していました。103よりも191のほうが仕切り窓が大きいので好きでした。末期には黄色オレンジ青と3色の編成やオールMの6連なんてのも走っていました。一時大阪緩行線でテスト走行もしていましたが結局103に落ち着いたようです。確かに窓からの隙間風がすごかったですね。
Cedarさん
101系のお披露目は原宿宮廷駅ではなかったのですね。
当時の国電の中ではセンセーショナルだったのでしょうね。
スト権スト時代は本当に酷かったですね。
60kumohaさん
環状線のオレンジ色73系、見てみたかったですね。
初期の101系は全面展望が効いて気持ちよかったです。
窓枠は風でパタパタ動いていましたから、隙間風はそれなりのレベルですよね。
101系。懐かしいですね。
101系と言えば、自分にとってはオレンジの中央線快速電車の印象が強く、
中学生時代に流行っていた、沿線出身の荒井由実の「中央フリーウェイ」なんかが今でも自動再生します。
それ行けスローガン列車!は、春闘の時には地元の京浜東北線・根岸線にもにもたくさん走っていました。
白いペイントは水性の石灰粉で、水で洗えばすぐに落ちるものだったそうですが、
中学生の頃はそんなことは全然知らず、ついつい便乗して、当時大好きだった、
アンルイスだとかキャンディーズだとか、大船駅に停車中のクモハ103の車体に、
油性のマジックで書いてしまったことは秘密です。
101系は京浜東北・根岸線にも数本走っていましたが、超レアな存在で、
余り乗車する機会に恵まれず、乗車するのは専ら秋葉原や新宿周辺の総武線か中央線の電車の、
短距離利用だったので、隙間風が酷かったとは事は知りませんでした。
横浜周辺では、ハマ線の73系の隙間風が酷いのが有名で、冬の夜、乗客は新性能車と比べて薄暗い車内で、
不幸せそうな暗い表情でコートの襟を立てて寒さに震えて座席に座っていて、東神奈川で隣り合う、
京浜東北線103系の明るい車内で、リラックスした表情で座っている乗客とは対照的だったのを覚えています。
ジモティーさん
白いペイントは水を掛ければ取れるのでしょうが、ビラ紙は結構後までのりがくっついて残っていましたね。
今考えるとひどいものです。
101系の京浜東北線はなかなか巡り合えませんでした。
73系の3段窓は隙間風対策で苦労していましたね。
環状線ではオレンジのクモハ32なんてのも記憶していますその後長らく片町線に居たやつです。大阪は直書きよりもアジビラ貼りが多かったです。一応撮っています。蒸気は直書きの団結号がイベントヘッドマークのように走っていたです。国鉄が元気な時でしたから。
chitetuさんへオレンジの73は阪和線で最後まで居ましたよ。103の1500番台が101からの先頭車だったのでよく関西線で乗りました。
60 kumohaさん
蒸気機関車の団結号は強烈でしたね。
アジビラをくまなく貼っている姿は唖然としました。
オレンジの73系、私も阪和・片町線では見れました。
オレンジが妙にかすれていましたね。
阪和の73は色んな台車のが居ましたね。結構捜して追いかけました。鳳電車区までおしかけて。行き先幕が間に合わない103の正面窓にはサボをぶらさげて愛嬌を振りまいてはいましたがなにせ旧国の仇でしたので。
60 kumohaさん
そうですね。自分はその一部しか見れなかったと思いますが、鳳電車区もお邪魔しました。
この頃の103系は憎き存在でした。
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