廃車回送先は大船工場でした。
直線距離では目と鼻の先のような中原電車区と大船工場ですが、その回送コースは結構面倒なコースを取っていました。
中原電車区からは立川方向へ向かいます。
そして南武線立川から青梅短絡線で一旦西立川へ、折り返して青梅線で立川へ、ここでまた折り返して豊田電車区に行って何故かここで二泊。
翌々日に豊田から新宿、山手貨物経由で大船へというコースです。
当時の運転時刻のメモは・・・
『16003+11270+(40073)+40033+16215+11244
12/10
武蔵中原13:10ー立川13:51-中神14:02ー立川14:23ー豊田14:30
豊田で40073を増結。
12/12
豊田13:25ー新宿14:09-14:26品川14:37ー大船15:15
来年3月にもう一回 』
とあります。
ED16 8 80.12.10 青梅短絡線 |
この電車の撮影場所をどこにするかは迷いました。
そして結局選んだのは立川付近のトライアングル地帯です。
この場所を選んだのは、通常走らない区間である事が一番の理由ではありますが、それ以外に中神、立川と2回の折り返しで都合3回も電車が撮れるという欲張りができることも理由でした。
早めに到着して撮影場所を探してウロウロしました。
この短絡線の本来の利用者(車?)がやって来ました。
クモハ11244 80.12.10 青梅短絡線 |
モハ31形のお顔は大好きです。
このお顔をちゃんと拝めるのもこの時がほぼ最後でしょう。
クハ16003 80.12.10 青梅短絡線 |
中間に同時廃車のクモハ40も挟まれていました。
反対側も31系電車でした。
どうせなら30系のクハを期待したのは贅沢でしょう。
クハ16003 80.12.10 西立川ー立川 |
撮影後は、場所を青梅線の方へとそそくさと移動して待機。
クモハ11244 80.12.10 西立川ー立川 |
立川の市街地をバックに二度と通らない線路を踏みしめてゆきます。
クハ16003 80.12.10 立川ー日野 |
次は立川折り返し豊田に向かう電車を狙ってダッシュします・・・・ハァハァ。
今度は時間の余裕がなくアヘアヘしている間に発車時間を迎えてしまいました。
そこで残念ながらモロ逆光のカットしか撮れずに消化不良となってしまいました。
予定していたカット見本 EF60503 80.12.10 立川ー日野 |
本当はこんな感じをイメージしていたのですが、この場所までは辿り着けませんでした。
やはり、二兎を追うものは一兎を得ずの見本ですね。
中一日開けた12日です。
この日は生憎の冷たい雨が結構な勢いで降る日になりました。
ぶどう色に雨の組み合わせは最悪のコンディションですが、そんなことを言ってはいられません。
クハ16003 80.12.12 五反田 |
今度は山手貨物線を行く姿を撮る予定で、五反田で待ち構えました。
豊田でクモハ40形を一両増結した6連で雨の中をやって来ました。
山手線のATCと被らないかハラハラドキドキ。
クハ16003 80.12.12 五反田 |
偶然、貨物線反対側からはEF15牽引の貨物列車がやって来ました。
酷い写真ですが、記録できたことは良かった気がします。
クモハ11244 80.12.12 五反田 |
振り向いた後ろ姿です。
クモハ11244 80.12.12 品川 |
まだ追っかけます。
品川に追いかけてもう一回。
ホームでこの電車を待ち構えていたのは画面に写っている程度の人数しか居ませんでした。
情報の氾濫する今だったら大変でしょうね。
クハ16003 80.12.12 品川 |
これは3月予定されているもう一回の運転でリベンジしなければいけないと心に決めました。
10 件のコメント:
中神にまだ渡り線が残っていた時代なのですね。
この時代に都内で追っかけができるのは羨ましい限りです!
立川の旧高島屋の手前に長崎屋の看板が見えるのが懐かしいです。
細長い小さなデパートでしたが、雑貨とかいろいろあって良く行きました。
EF60の貨物列車も貴重ですね。
この時期、勤務先が立川でしたが、廃車回送はあとになって知りました。事前にわかっていても仕事は抜け出せない状況だったし。まぁ、いろいろ現役時代は見ているからよしとします(負け惜しみ)。
通りすがりの64さん
立川付近の雰囲気も随分と変わりましたね。
もう忘れましたが、この時は講義サボって行ったのではないかと思います。
貨物の機関車も色々走っていた頃ですね。
モハメイドペーパーさん
昨晩はお疲れ様でした。
自分は都会のど真ん中を走るぶどう色の旅客電車は撮っていませんでしたので、千載一遇のチャンスと躍起になっていました。
謎の回送経路ですが、中央線、山手線と、全盛期の縁の地を踏みしめながらの廃車回送は粋な計らいにも思えてきます。
みかんさん
私鉄買収路線ゆえ、意外と回送は手間が掛かるケースがあります。
目と鼻の先に目的の線路があったも大回りせざるを得ないのも面白い点です。
何度か訪ねた南武支線の17M車の引退を知ったのは、運転終了後のことでした。
知っていても社会人だった当時、廃車回送には行けなかったことでしょう。
しかし、なかなか興味深い回送ルートですね。
吊りかけ電車ではありませんが、半世紀前に行われた営団5000系は驚きの回送ルートでした。
高田馬場~九段下間で開業した時3連だった5000系は中野延伸・国鉄相互乗入に伴い7連化することになり、増結用の新造車がいる日比谷線千住車庫へ自力回送されました。
そのルートが、三鷹-中央線-新宿-山手線(品川経由)-上野(駅構内で転線)-常磐線-北千住-東武線-草加-東武線-北千住-日比谷線-南千住というものでした。
鉄道会社や路線によって安全装置が異なる現在では、全く考えられないことですね。
愛知県在住の長野の鉄道ファン
懐かしい写真をありがとうございます。
既に愛知県で社会人になっていた私も、同日は中原区→府中本町→日野(旧駅跡)と追っかけ、さらには12日、野洲でサロ165×4の廃車回送(控車22151と22152)を撮って、新幹線で大船工場入場線へ、という超ウルトラ技で撮影しています。この頃は自分も元気でした。
続編を期待しております。
三等急電さん
営団5000系の回送の件、どこかで読んだことがあります。
いまではこのような柔軟な対応は夢物語ですね。
匿名さん
この列車を追っかけられましたか!
10日は同業者を一人も見なかったのも時代を感じます。
それにしても12日の行動はエネルギッシュですね!
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