両親のアルバムから デハ13 伊香保駅で撮影と思われます |
そのアルバムはずいぶん昔に両親から見せてもらったことはあったのですが、それからはどこにあるのかわからない状態でした。
そのアルバムには伊香保電車の写真が一枚だけあったことは覚えており、渋川で保存車両↓を見た折に改めて見てみたかったのですが、アルバムがどこへ行ってしまったのかは全く見当もつきませんでしたので、今回ひょんなことから見つかったアルバムから写真を発見した時は旧友に再会したような気分になりました。
そのアルバムには日付は無いので時期は不詳ですが、伊香保電車の窓から顔を出している恋愛時代の両親の姿がありました。
この写真を見て、以前から見てみたかった伊香保に修復保存された伊香保電車を見に行きたくなり、先日行ってきました。
デハ27 91.4.25 渋川 |
今回修復保存された伊香保電車のデハ27は永らく渋川駅から徒歩15分ほどの平形眼科医院で車体が保存されていたものに、豊橋市内線301号の台車を合体し、伊香保温泉で保存展示されることになったものです。
こちらの車体は91年に見学をさせていただいていました。
27 91.4.25 渋川 |
電車は武家屋敷を思わせるような立派な門を潜った中庭に鎮座していました。
この時はよもや再びだるまさんになった電車からちゃんとした電車に戻るとは思いもよりませんでした。
デハ27 14.12.4 伊香保 |
目的の電車は伊香保の中心部に近い伊香保交差点の脇に展示されています。
手前にモニュメントふうに曲がった線路と駅名標が。
なんでこんな曲がった線路を作ったのか、最初は意味がわかりませんでした。
デハ27 14.12.4 伊香保 |
綺麗に修復されたデハ27。
台車に負担をかけないようにするためか、前後で車体を突っ張っていますね。
デハ27 14.12.4 伊香保 |
ポールもちゃんと復元されています。
デハ27 14.12.4 伊香保 |
こちらがポール側です。
奥が石垣なので撮るのがちょっと大変。
このような説明もあります |
電車の脇にはこのような説明も描かれています。
展示されていた写真 |
この説明文にある写真の意味も最初は単なる電車風景の紹介程度にしか見えず、この写真と今の場所との因果関係は分かりませんでした(←書いときゃいいのにネ)。
14.12.4 伊香保 |
そして、この線路の意味も単なるモニュメント程度にしか思わなかったのですが、よくよく見たらここが写真の場所であったことが分かりました。
そして軌道はこのように右に曲がって道路を渡って写真奥の電柱が並ぶ細い道を終点伊香保駅に向かっていたのでした。
14.12.4 伊香保 |
その軌道敷を伊香保方向に歩いてから写真の踏切方向を振り返って見た様子です。
14.12.4 伊香保 |
もうちょっと歩くとこんな感じです。
軌道跡は結構な勾配で登っていました。
朽ち果てそうな看板で理解できました |
写真右手の朽ち果てそうな看板のアップはこちら。
これを見て全て理解ができました。
さらにこんな案内も |
更にもう少し歩くとこんな看板も。
左手が通常の道路、右手のか細い道が伊香保電車の軌道敷の跡です。
軌道敷はこの先で合流して無くなってしまいますが、その地点こそが昔日の伊香保駅であったと書かれています。
14.12.4 伊香保 |
この看板によるとこのあたりが終点の伊香保駅構内の端にあたるようです。
14.12.4 伊香保 |
同地点を振り向いた写真がこちらです。
ここが伊香保電車の伊香保駅であったそうです。
昔の伊香保駅風景 |
きっと上の場所から昔撮ったらこんなで感じであったのでしょう。
恋愛時代の両親はこのあたりで記念写真を撮ったのであろうと写真を見比べながら思いました。
14.12.4 伊香保 |
電車だけでなく、一部とは言え伊香保電車の廃線跡も見ることができて十分満足できました。
その後、綺麗に整備された石段の温泉街を散策しましたが、冬の平日とあって寂しささえ感じさせるような伊香保の温泉街をトボトボと歩いたのでした。
良い本です |
伊香保電車については東武博物館で販売していたこの本が大変見応えもあってオススメです。
12 件のコメント:
ひえ~~!
すばらしいですわあ~!
実は小職、昨年草軽を訪れた往路、伊香保に寄ったんですが保存車も線路跡が残ってるなんてことも知らず、単に石段を上り下りしただけ!
あ~失敗した~~
おっちゃんの記事を参考に再訪します!
おはようございます♪
私もこの本を東武鉄道の博物館で購入しました。
再訪問されて、現地を探索されるなんて・・・脱帽です!
伊犬保温泉殿
シャーナイですよ。
伊香保で公開されたのは今年のことですから〜。
ポルへでびゅ〜〜ん!と逝ってくだされ。
KAZUさん
それでは博物館の写真展もご覧になりましたか?
地元の田部井さんの写真の数々、感動を覚えました。
その写真の主人公に今会えるのは嬉しいですね。
ピクトリアルに載った小林茂さんの「餓多電盛衰記」に
よると、伊香保電車の晩年はバスとの競争(小さい電車
なので、バスのほうが収容力がある)に苦しめられた
そうで、ということは社員旅行でわざわざ電車を選ばれた
ようですね。
昭和30年代ごくはじめの電車を舞台にした青春群像、
とてもいいですね。
低Nさん
お褒めの言葉を頂戴しまして、公営❌光栄であります。
あの小ちゃい電車でノロノロ走っていたのですから、晩年はバスの敵ではなかったでしょうね。
こんな電車に乗っての温泉一泊旅行、タイムカプセルに乗って行ってみたいです〜。
伊香保と言えば成瀬三喜夫監督の代表作『浮雲』が思い浮かぶ非鉄なCedarです。裏話で聞いた話では、映画のシナリオ草案にはこの電車がワンカット出てきたとか…
実際には伊香保の例の階段をセットで作ったため、電車シーンは無くなった…とか。
真偽は不明ですが。
Cedarさん
『浮雲』、高峰秀子主演のやつですね。
伊香保の石段をセットで作るのは面倒そうですが、映画ってそういうの作っちゃうのですね。
この話、最後は屋久島ですね。
森林鉄道は出なかったのでしょうか?
公共の場での展示ですが、この状態が長く続くと良いですね。
ところで「展示されていた写真」見ますとポール下げたまま坂下っています。
究極のエコ電車という表現をどこかで見ましたが、交通量の多くない道路だからこそ可能な運転法だったのでしょう。
12号線さん
いろいろな記事読むと、伊香保から渋川へ向かう時はポールを下げて走っていたと書かれていますね。
伊香保出発の時だけポールを上げて、すぐ下ろしていたのでしょうか?
もしかしたら夜間は車内真っ暗だったのか?
いくつか分からないことがありますね。
東武博物館へ伊香保電車の写真展を見に行って時、本を購入しました。
ポールを下げて走るなんて、安全基準が厳しくなった今は、きっと認められないのでしょうね。
廃止後に一部の車輛は草軽電鉄で客車として再起しました。
路面電車が軽便鉄道の客車として再起したケースとしては、栃尾電鉄の元都電杉並線の車輛があります。
(地方私鉄1960年代の回想で、栃尾電鉄の車輛が紹介されています。)
元・いきもの部長さん
東武博物館の写真展、良かったですね。
さすが地元の方ならではの記録がいっぱいありました。
昭和31年の廃止ですから、伊香保電車を知らない人が殆んどでしょうね。
大事に車体を保管されたお医者さんに感謝ですね。
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