をお送りします。
今回はクモハ53000+クハ47153のセットの部です。
ちょっとビックリセレクトの2連 |
この車種選定はまた随分とマニアックなところを突いてきましたね。
クモハ53はともかくとして、クハ47は随分と異端車を選んだものです。
もしかしたら、流電の練習でしょうか?
クモハ53000 |
クモハ53は最晩年のHゴム改造をした姿になっています。
PS13装備で飯田線配属のクモハ43と53の中ではスタイル的に一番崩れてしまった車両とも言える53000をセレクトした理由はどこにあったのでしょうか?
また他の43と53が奇数なのに偶数車を選んだのもこの先の伏線があるのか無いのか?
取り敢えず、他の43や53に改造するには面倒な選択です。
クハ47153 |
流電中間車改造のクハ47は更に異端車でした。
第一次の淘汰の対象になって消えていった車両です。
これは何にも化けそうにありませんね。
連結面 |
連結面です。
貫通扉を塗り分けないのは相変わらずですね・・・・というか、昔からKATOは連結面の表現には冷たい会社ですね。
ほかの部分が光る分、気になります。
コストアップを嫌ってのことでしょうが、鉄コレでさえ塗り分けている現在、やってほしいです。
実物編です。
クモハ54117(左)、クハ47153(右) 76.12.23 辰野 |
初雪の降った朝、辰野の電留線で休むクハ47153。
クモハ53000 79.5.31 天竜峡 |
クモハ53000。
クモハ43の出力アップ改造を受けた電車です。
クモハ53000 76.12.23 伊那福岡 |
伊那福岡で急行伊那と交換待ちのクモハ53000。
右手に今となっては懐かしいタブレットが写りこんでいます。
クモハ43がPS11を維持した車両が多い中、クモハ53000はPS13装備でした。
クハ47153 76.12.23 伊那福岡 |
偶然にもこの時のクモハ53000の連結相手は今回のセットと同じクハ47153でした。
クハ47153 77.12.31 伊那松島 |
お顔はこんな感じでした。
正面窓の天地寸法が三つとも違います。
この47153と47155の2両は身延線時代に前照灯埋込み改造がなされています。
クハ47155 78.11.23 富士宮 |
参考までに相棒のクハ47155。
こちらの155号車は晩年運転席窓がHゴム改造されていました。
クハ47155 78.11.23 富士宮 |
偶然なのか恣意的なのか昔の仲間の流電と顔を合わせて最期の時を待っていました。
クハ47155 78.11.23 富士宮 |
車内にも入らせて頂きました。
関西急電でサロハとして君臨していた時代の面影を感じさせない超ロングシートの車内は飯田線走破時にはお世話になりたくないアコモデーションでした。
クモハ53001 82.8.29 城西ー向市場 |
有名な渡らずの鉄橋を渡るクモハ53相方の奇数車、クモハ53001。
クモハ53001(左)、クモハ53000(右) 83.3.20 伊那松島ー沢 |
偶然にクモハ43パワーアップ版クモハ53同志が顔を付き合わせて走ってきました。
床下の空気側機器配置が全くひっくり返っているのが良く解ります。
クハ68404 83.3.20 伊那松島ー沢 |
上の編成はこんな編成でした。
クハ68404+クモハ53001+クモハ53000+クハユニ56012
奥の2両は今回の製品でほぼ類似の編成が実現可能ですね。
14 件のコメント:
またやってんのんカー嗚呼嗚呼(核爆)~!
犬田線殿
おっちゃんの金魚鉢同様で~す。
おたがい、性格がしつこくて困ったもんですなあ(糞爆)~
金犬鉢どの
・・・・
全く困ったもんです。。。。
ご無沙汰しております。
確かに53000にしても47153にしても微妙なチョイスですね。
47153の晩年はこのペアだったようですが、そもそもカトーさんは53007の時にあえて実物ではあり得ないペアで発売したのですから、この2両にこだわるのは謎です。
53000はドア増設して中間に入ったクモハ42の代わりに入れるとか...出来が良いだけに悩みますね。
それにしてもお撮りになっている実車写真が良いですね!
PS13は、横須賀線時代から大井が交換したのかと思いきや、やって来た時はPS11のままのようです。
今回は78年9月まででセレクトしたのでしょうか。
68420は台車の関係で製品にしなかったようにも思えますが。
83.3の撮影旅行のときのクモハ53000+クモハ53001の写真で、撮影場所がどこだったか分かりました。帰り際の撮影だったので場所がよく分からないままになっていました。
飯田線には、旧式電車の天国だった頃に2度訪れています。最初は昭和52年、このときは豊川稲荷への参拝で豊橋と豊川の間を往復しただけでしたが、流線型の52型に乗ることができたと記憶しています。全線を乗りとおしたのはその翌年。下諏訪の宿を出て、辰野から飯田まで乗ったのが、53000でした。どこだか忘れましたが、列車交換でホームに下りて写真を撮った記憶もあります。相棒は「クハユニ56?」だったような…。その後乗ったかどうか定かではありませんが、「50000」というキリ番の車両があったことも記憶しています。飯田で降りて名物の林檎並木を見物、中部天竜からは佐久間ダムを見学。さすがに豊橋に着いたときは疲れ果ててしまいました…。
JRになり、新宿からの直通急行も消え、車両の顔ぶれがすっかり代わってからは、しばらくご無沙汰。南側は、平成に入ってから、再びの豊川稲荷参りと、鳳来寺の紅葉見物で本長篠まで。北側は昭和63年に高遠の桜見物で伊那市まで、そして11年前には飯田まで乗っていますが、車両にいまいち魅力がなくなってからは、沿線の景色を眺めることが主。「秘境駅」が並ぶ絶景の区間は、最後に乗ってからもう36年も時が過ぎています…。
駒ヶ根車輛さん
ご無沙汰しています。
KATOの車種選定は以前から不思議でしたが、今回の選定も微妙ね。
どのようにいじるか悩ましいところですね。
なにわさん
このあたりの経緯はよくわからないですね。
統一感が無いのも面白いところですが。
正村さん
この時は御一緒でしたね。
あの列車は最後のおまけで撮った記憶があります。
伊豆之国さん
クモハ53などの42系一族は、乗車する時はクロスシートが多くて嬉しい電車でした。
私は最初の飯田線体験でクハユニ56001で全線走破した記憶があります。
高遠の桜や鳳来寺の紅葉、懐かしいです。
微妙な車両で購入を躊躇していましたが、詳細なレポートを拝見して購入中止を決定しました。
なお、3両セットの方は迷わず購入しました。
元・いきもの部長さん
ありゃりゃ、これは良かったのか悪かったのか・・・。
でもこの車種選択はちょっと理解ができませんね。
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