需要に対して大きすぎそうな車体に、雪国には向きそうにない4扉車であったからです。
それも扉が半自動ではないのですから、吹雪もある地域には不向きとしか思えませんでした。
モハ1523 97.3.17 黒石 |
黒石で休憩中の1521系電車。
右には今や貴重なラッセル車キ100型の姿が、一番左には黒石線の気動車が並んでいます。
クハ3904 97.4.9 津軽尾上ー柏農高校前 |
岩木山をバックに走る、何となく場違いな南海電車。
モハ1523 97.7.9 津軽尾上ー尾上高校前 |
戦後の延長開業区間を往く南海電車。
モハ1523 97.7.18 津軽尾上ー尾上高校前 |
田圃の中を突き抜けるような高架橋は弘南線のハイライト区間の一つとなっていました。
クハ3903 97.7.18 津軽尾上ー尾上高校前 |
この頃、所要先が津軽尾上にあり、何度となく出掛けたものでした。
その度、時間が合えば飽きもせず南海電車も撮っていました。
クハ3903 97.4.9 津軽尾上ー尾上高校前 |
この場違いな南海電車、その後の輸送量減で活躍の場が減少、静かに消え去りました。
10 件のコメント:
この車体、窓と幕板のバランスが不思議で好きです、白帯が入って、かえって締まりが無くなりましたね。
この電車、地方私鉄にカルダン車両の譲渡が当たり前になった後に譲渡されたので、初めて弘南鉄道へ行くと聞いた時ビックリしてしまったことを思い出します。
まだ乗れるだろうという安易な気持ちと、東北のローカル私鉄にあまり興味がなく乗れずに終わってしまいました。
同じ時期に21000や22000が売却されてるんですけどね。
すでに東急7000でカルダンドライブ車にも慣れてたはずなのに。
よほど4ドアロングが欲しかったのでしょうか。
昔の阪和の車を思い出させます。
Cedarさん
何回の電車は幕板と窓の大きさの関係が独特でしたね。
確かに白帯巻いて却って締まりが無くなった気がします。
宵闇さん
私もあんな電車が雪国に行ったのにはびっくりしました。
最後まで違和感が抜けない印象でした。
なにわさん
どうしてこの時期にこの車両が譲渡されたのか不思議です。
よっぽど安かったのでしょうか?
この電車、私が中学生で南海天王寺線が天王子⇔天下茶屋の全線営業していたころ現役で走っていて良く乗りました。
空気バネでカルダン車っぽいのに吊かけ駆動というフシギな電車でした。
白帯はありませんでしたがとてもなつかしいです。
当時の天王寺線は二運用でちょうど今池町ですれちがうんですが、夏場二運用の片方に2連の7100が入ることもあり1本待てばよかったのになーと思ったものです。
阪鉄車輛さん
天王寺支線にはこの電車が専ら走っていましたね。
見た目と性能がちょっとアンバランスな感じはこの電車の特徴かもしれません。
それにしても、東北へ嫁ぐとは思いもよりませんでした。
戸袋窓が広いのが南海片開き扉車の特徴でした。
4ドア吊り掛け電車の北国行きには、本当に驚きました。
非冷房吊り掛け電車の譲渡は、東武→上毛とともに最後となりました。
上毛は冷房化+ワンマン対応でステンプラが導入され、こちらも短命でした。
元・いきもの部長さん
南海の電車あの時期に何故買ったのでしょうか?
性能、構造ともにあの時期、あの路線には合わなかった気がします。
上毛も結果から見たら東武車は買うのを我慢してステンプラを待っていても良かったのでは?
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