そのアルバム、以前に両親か見せてもらったことはあったもののじっくりと見る機会は無く、今回初めてじっくりとページをめくって両親の足跡を辿ってみました。
両親のアルバムから |
そのアルバムをめくっていたら、伊勢志摩に慰安旅行に行ったと思われる写真がありました。
その頃の両親の住まいは大阪。
伊勢志摩は大阪からの慰安旅行には絶好の旅先のひとつであったのでしょう。
日時は手書きで昭和34年5月3日と書かれています。
今でいうところのゴールデンウイーク。
今、こんな日に会社の慰安旅行なんて企画したら大ブーイングでしょうね。
その前に慰安旅行自体がかなり化石化しているとも言えますね。
自分もここ十数年社内旅行なんて行ったことがありません。
サ3020車内 59.5.3 |
アルバムでは、上の伊勢志摩の海岸の写真の周りに自分の知らない人々のスナップ写真に混ざって、目的地へ向かう途中の電車の車内の様子が何枚か撮られていました。
今と違って社内の慰安旅行は電車に乗って行ったようです。
目的地が『34.5.3 伊勢志摩』と書かれていることと、車内の様子からするとどうも近鉄電車であることは間違いなさそうです。
利用したのはデビューしたばっかりのビスタカーではなく、転換クロスの吊り掛け電車でありました。
また、連結面に隣接して客用扉があるのも確認できます。
サ3020車内 59.5.3 |
楽しそうに何かを飲みながら談笑するシーン。
父が撮ったのか、知った顔は存在しませんが、目はその先の整然と並んだ窓に目が行ってしまいます。
こちらの写真を見ると、乗車している電車はモ2200かモ2250のどちらかのようです。
最初はモ2200かと思いましたが、上の写真の扉位置から考えるとサ3020形と考えて間違いなさそうです。
59.5.3 赤目口 |
最初の目的地は赤目口であったようです。
伊勢に向かう前の最初に赤目四十八滝を見に行ったのでしょうか?
ここじゃ、ビスタカー利用しませんよね。
父親の若き頃の記念写真が残っていました。
12 件のコメント:
なにも有名な映画じゃなくても、こうしたスナップ写真こそが時代の雰囲気を伝えてくれるんですねー!
親のアルバムを見る前にオレが死んじゃいそうですがっ!
お犬さん参り殿
親のアルバムなんて滅多見ないもんですが、見てみると色々な発見ありますね~。
明日は宜しくです!
私が初めて伊勢志摩方面に行ったのは、前に「特急電車の絵本」のときにも書き込んでいた、小学生時代に鈴鹿サーキットから足を伸ばしたとき、昭和40年代の前半のこと。まだ近鉄鳥羽線は建設中、お伊勢参りを済ませた後、バスで鳥羽に出て、遊覧船で「真珠島」などを回り、それからやはりバスで二見浦にも寄ったと記憶しています。近鉄志摩線も拡幅工事で運休中、役目を終えたであろう旧式車両が鳥羽駅に休んでいたのを見た記憶もありました。2度目の伊勢訪問は、それから30年近くも経った平成9年の春。満開の吉野の桜を見て、赤目四十八滝の入り口近くの旅館に一泊。宵闇の空を見上げると、接近中だった彗星の長い尾と、近くにかかっていた三日月の姿が今も印象深く残っています。赤目口の駅は写真にあるようなたたずまいから一変していて、通勤電車の駅のような雰囲気、赤目滝がある名張市が既に大阪への通勤圏内に入っていたというのが現実だったと思えたのでした。これはkatsuさんのブログにも投稿しているのですが、翌朝は宇治山田駅に出て、伊勢参拝を済ませた後、鵜方に出てタクシーで岬めぐり、最後に夕暮れの英虞湾を眺めて、賢島から当時最新鋭だった「伊勢志摩ライナー」で名古屋に戻ったのでした。
3度目のお伊勢参りは、昨年の夏休み。前日に奈良を回り、松阪で一泊して城跡などを見た後、伊勢に出たのですが、道中で足を挫いてしまい、何とか参拝はできたものの、家に戻った翌朝に病院に直行、予想以上の重傷と診断され、1ヶ月余りも松葉杖が離せず、散々な結末に終わってしまいました。蛇足ですが、お目当てにした「松阪牛」、予想通り市内の店が大混雑でお土産のカレーなどで我慢、伊勢市内でようやく「伊勢うどん」とのセット定食にありつけたのでした。
2250系列(名古屋線の同型19m車も)は網棚の支柱一つ一つの根元にコートフックが付いていますが、これが良き時代の雰囲気を盛り上げているんですよねー。
大井川に行ったヤツにも残っていて感激しました。
で、このシート、奈良電デハボ改の京橿・京奈特急、680に転用されるんですね。
こういう記事、大好きです。
鉄じゃない人の鉄写真のほうが、時代の空気感が写し込まれてますね。
この車両は冷房車でしょうか?キチンと窓が閉まってますねぇ。
伊豆之国さん
近鉄電車で巡る名所は豊富ですね。
親が行った赤目四十八滝、機会を見つけて行ってみたいと思います。
赤影さん
網棚の支柱にコート掛けが付いているのは旅情を感じさせて、私も好きです。
あのシートがデハボに転用されたとは知りませんでした。
Cedarさん
そうですね。
鉄でない人の鉄写真は時としてものスゴくメッセージを発していたりしますよね。
そう言えば、窓が閉まっていますね。
もしかしたらそうかも知れませんね。
外側も撮っておいてくれれば•••。
こんにちは。いつも楽しみに拝見させてもらっております。
さて、こちらの画像ですが、座席背もたれ上に見えるのは、
近鉄独自?のシートラジオではないでしょうか?
初代ビスタカーで好評だったので、2200系列の特急にも
装備されたと聞いたことがあります。
今回、実物の写真で確認が出来たこととてもびっくりして
おります。
サ2030のデッキ仕切り無し、貫通路脇の窓、
開放感に優れたデザインだと思いますね。
くまくま51号さん
こんにちは。
ご覧いただき、ありがとうございます。
書き込みいただくまで全く気付きませんでしたが、確かに背もたれ上にそれらしきものが見えますね。
ごつい機械が時代を感じさせますね。
2250系のデザインはすっきりしていて好感が持てるデザインでしたね。
古い電車運行中の車内風景は記録が少なく貴重です。
三角の写真止めも時代を感じます。
みなさん、細かいところまでチェックしていますね。
シートを向い合せにセットしているのは、慰安旅行だからでしょうか。
旅行時期からすると、ビスタカーが試作の1本だけだったので、乗るのは難しかったと思います。
(新ビスタカーの運行開始はこの年の12月)
また、今では長い連休になったゴールデンウイークですが、当時は4日が休日でなく土曜休日、振替休日、有給休暇も無かったので、慰安旅行にはむいていたのかもしれません。
ちなみに、昭和34年5月3日は日曜日でした。
三等急電さん
自分が生まれる前の画像はやはり刺激的ですね。
当時はゴールデンウイークなんて言葉も無かったのでは?
高度成長で、ひたすら仕事の時代だったのでしょうね。
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