そして、その頃には予備車などで生き永らえた電車たちもその最期の時を迎えようとしていました。
モハ3404 97.6.25 石川 |
東急のデハ3400形は弘南線から大鰐線に転じた後は予想外に長生きしましたが、ついに御用済みになってしまいました。
モハ3404 97.6.25 石川 |
こちらは反対側の姿。
モハ3404 97.6.25 石川 |
窓ガラスもバリバリに割られて悲しい姿を晒していました。
モハ3404 97.6.25 石川 |
車内です。
椅子の袖仕切りが味わい深いです。
クハニ1271 97.6.25 東奥義塾 |
こちらは大鰐線沿線の私学、東奥義塾高校に部室として活用されたクハニ1271。
伊那の電車も最後はサッカー部になるとは予想も出来なかったでしょうね。
クハニ1271 97.6.25 東奥義塾 |
6 件のコメント:
車庫の裏手はこんな廃車体が溢れていてワクワクしますね。
古い電車の車内も手作り的な感じがあってワタクシは大好きです。
弘南鉄道吊り掛けオンパレードの時代に乗ってみたかったです。
宵闇さん
以前の車庫裏にはこんな電車が結構いましたね。
車内は結構工芸品的な造作があっていい感じでした。
でも、ガラスも割れた電車は可哀相でした。
東急デハ3400以前の車両はデハ3450以降と異なり徹底的な更新修繕が行われずに早目に廃車されたため、かなりの車両が地方私鉄で再起しましたね。
弘南では乗れませんでしたが、こどもの国線で(弘南へ行かなかった)デハ3405に乗りました。
確かにこんな感じの車内でした。
半室運転台の反対側にあった前面まで達するシートに感激しました。
一方の伊那電買収車のクハニ1271は泥臭くて無骨な感じがいいですね。
仲間がクモハ73との不細工コンビで交直両用試作電車となり、最後はクハ490を名乗りました。
買収国電で3桁形式となったのはこれだけかな?
話題はそれますが、東奥義塾って最近甲子園に出ていないような気がします。
三等急電さん
東急の3400形と3450形は共通点の多い電車でしたが、晩年の運命は全く異なりました。
雪国の無人駅でボロボロになった姿を見て可哀相になりました。
3400って地味電でした。子供の国線専用車の派手な塗装を思い出しますね。
Cedarさん
そうですね。
その後の電車の陰に隠れて細々活躍という感じでしたね。
こどもの国線の塗装は凄かったですね。
外国の電車みたいでビックリしました。
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