東武線も栃木県内で不通箇所が出て、復旧の模様が報道されていました。
それを見て、ちょうど10年前に出掛けた宇都宮線の風景を思い出しました。
クハ5461 05.9.16 安塚ー西川田 |
今回橋脚が流されてしまった区間は、同線の中でも撮りやすい場所でした。
写真奥のほうに姿川の鉄橋があります。
クハ5460 05.9.16 安塚ー西川田 |
収穫前の田んぼを走る5050系。
クハ5160 05.9.16 安塚ー西川田 |
架線柱も私鉄らしいものが多く残っていました。
クハ5160 05.9.16 野州大塚ー壬生 |
こちらは思川の鉄橋。
ガンバレ、東武電車!
18 件のコメント:
東武線は春日部より先は行った事が無いので、5000系が現役だった頃もっと乗りに行けばよかったと後悔しています。
車齢が若い割には比較的短命だったのは釣り掛けだったのでしょうか。
末期は沿線住民からあのうるさい電車を追放しろと苦情の嵐だったそうですね。
吊り掛け式の旧型電車がそういう色眼鏡でしか見られないのが悲しいですね。
またもや話が逸れますが、銚子電鉄に元京王5100系の伊予鉄道700系が搬入されたそうです。
しかも狭幅の初期車で吊り掛け改造車、下回りは東武2000系のモノですね。
来年の3月にデビューするそうですが楽しみですね。
東武の5000系には、一昔余り前、野田線(絶対に「アーバン何とか」ではありません)沿線の某官庁への打ち合わせで、何回か乗り合わせたことがありました。車体は比較的新しいのですが、既に薄汚れた感じがして、8000系と比べても見劣りがしたのは気のせいなのでしょうか。宇都宮線(「宇都宮線」という場合、常に「東武宇都宮線」を指すものと解釈します。「JR宇都宮線」というのはどこにも存在しない架空の路線です。)は、乗ったことがありませんが、日光への道中で栃木で「蔵屋敷の町」を見るために途中下車したときに、吊り掛け音を響かせて発車して行ったシーンを見たことがあります。
東武は、特に日光線で洪水の被害が甚大だったようで、通勤途中のJRの駅の案内を見ても、日光線の新鹿沼~下今市間はいまだに復旧せず運休中、とのお知らせが出ていました。
東武線の栃木県内不通箇所は18日に復旧するようですが、宇都宮線だけはもう少しかかりそうです。
さすがchitetsuさん、宇都宮線の5050系もしっかり撮ってますね。
私は乗っただけで撮っていません。
ところで、東京方面への接続が悪いJRの日光線と東武の宇都宮線はマイナーな存在です。
そんなわけか、宇都宮線が関東大手私鉄で最後まで吊り掛け電車の走った路線になりました。
ごぶさたしております。
1枚目を撮影された道は小さな神社から枝分かれし、踏切まで田圃の中をひょろひょろと
伸びながら低い築堤へ上がっていく道で、模型っぽいシチュエーション。
天気がいいと、電車待ちにぶらぶらして気持ちのいいところですね。
姿川は、宇都宮線の他の大型河川である黒川や思川に比べ川幅や高水敷が狭く、
流れが集中しやすかったのが今回の災害につながったのかと思います。
最後の思川鉄橋は、昔はこの角度がベストアングルだったのですが、
しばらく前に写真のように下流側に手すりがついてしまい、魅力が乏しくなってしまいました。
このあたりはかつて砂利採取が盛んで、土手の左側には柳沢構外側線跡があります。
数十年前は鉄橋の北側に、川砂利運搬トロッコ用の橋脚も残っていましたが撤去され、
現在は県道架道橋の橋台と一体に作られた橋台の遺構が残るのみです。
トロッコは昭和20年代まで残っていたようで、
証人を探していたのですが、意外なところにいてびっくりしました。
うちの母が、子供の頃乗せてもらって遊んでいたというのです。
まっ糞エースの5000けー、非礼、霊界まとめて先日売り飛ばしましたー(糞爆)
宵闇さん
吊り掛け音が近所迷惑との苦情が来ていたとは知りませんでした。
幼稚園や小学校の運動会がうるさいとクレームになる世の中ですから、まあそうなのでしょうかね。
ちょっとびっくりです。
伊予の電車、一番古いのを買ったわけですね。
銚子ではどんな色になるのでしょうか?
伊豆之国さん
シルバーウイークを前にしての日光・鬼怒川方面の本線不通は痛いですね。
本線系はなんとかシルバーウイークまでには復旧するようですね。
三等急電さん
確かに宇都宮に向かう路線は何故かマイナーな線が多いですね。
以前は浅草発の宇都宮ゆきがありましたが、いつの間にか無くなっちゃいましたね。
低Nさん
神社の所は電車を待っている間も気持ちの良いところでした。
思川の砂利取り線の痕跡は、探しましたがわかりませんでした。
河川敷のトロッコは利根川で一回見た記憶があります。
犬豆腐殿
まっ糞エースのたたき売り、正解でしょう~!
そのうち鉄コレで出るかも?
柳原構外側線の跡地は、思川を新栃木方向に渡り切ってすぐ横切る県道の裏側です。
砂利採取・選別・積込場は線路の北側に広がっています。探された当時は荒れ地
だったはずですが、現在は土地が売却され、なんとメガソーラーになってしまっています。
本線からの分岐点は既に痕跡がなくなっていますが、側線は二叉に別れ、終端で
合流して機回しと長い編成の場合の突っ込み線として使用されていました。
現在残っているのはこの突っ込み線の終端部で、現在は工場の敷地の一部になって
いますが、踏切跡の工場の門と柵に古レールが使われ、かろうじて当時を偲ぶことが
できます。
吊り掛け=騒音がクレームになったとは、よほど凄い音だったか周りが田舎すぎて静かだったのか。
香港の吊り掛け電車はそんなにうるさくなかったですが。
東武宇都宮線は浅草からの直通を除くとつりかけ電車がメインで走っていました。
5050系が走っていた以前は、3070系や浅草行き準急に運用されていた7870系にも乗車した記憶があります。
ほかの人のコメントにもありましたが、(つりかけ電車の)騒音よりも速度が上がるにつれておこる横揺れで乗りごこちがよくなかったというのが印象にありました。
低Nさん
砂利取り線跡地がメガソーラーですか。
時代が変われば使い方も変わるものですね。
Cedarさん
5050系の音はそんなにうるさくなかった気がするのですが、周りが静かすぎるのでしょうね。
そう言えば、台湾の吊り掛け車も国内のより静かでした。
taiitisさん
宇都宮線はお古が回される傾向が高かったですね。
横揺れの件、車体は新しくても下回りは歳を隠せなかったのでしょうね。
初コメ失礼致します。
長年、沿線の線路沿いに住んでいますが、吊りかけ車がうるさくて苦情の嵐?なんて話しを聞いたことがありません。
線路より後に出来た建物が圧倒的に多く、住民は、吊りかけだろうがカルダンだろうが気にしていませんし、聞いたこともありません。
一部にちょっと アレ な人がいたのでしょうかね。
匿名さん
そんな苦情を言うのはきっとほんの一握りの人だけなのでしょうが、後から来て文句言う人は日本中に増えている気がします。
コメントありがとうございました。
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