この二両は、富士急行の前身である富士山麓電気鉄道が路線開業に合わせて新造したモ1形の姿を残した最後の生き残りでした。
モ1形は同線開業時にモ1~5までの5両が新造され、後に2両増備されています。
戦後、形式をモハ500形に変更となり、そのうちの5両は車体を一回り大きいものに載せ替えられ、改造初年が昭和36年であることに因み、両運転台車はモハ3600形、片運転台車はモハ3630形となりました。
それに対し、車体載せ替えからあぶれた2両が荷物電車に改造されました。
改造時に側扉間の窓が全て埋められたものの、モ1形の面影を留めていました。
モニ101 82.4.1 大月 |
モニ101,102の二両が旅客電車に併結されて何往復か走っていました。
モニ101 79.5.27 暮地ー三つ峠 |
近年、京王カラーの1000形を撮りに行った折にここを通りましたが、風景が一変していてとても似たような写真を撮れる環境ではありませんでした。
こんな山間部でも風景は変わっているのだと驚きました。
モニ102 82.4.1 寿ー三つ峠 |
オリジナル車と手をつないで坂を登るモニ102。
機関車のない富士急行では、荷物輸送以外にも事業用貨車の牽引にも使用されたそうです。
また時期によっては扉間の埋められた窓スペースに広告か書かれていたりもしました。
その後、荷物輸送廃止に伴い1982年に廃車となりました。
8 件のコメント:
モニ101の非パンタ側のテール、埋め込みになっていたんですね。
でも富士急はこの荷物電車廃車にした後は3600系を牽引車として使っていますし、モ1形を復元する時も上田からワザワザ買い戻していますね。
これを復元して動態保存車にしなかったのがいつも見ていて不思議に思います。
宵闇さん
確かにテールライトは前後で違っていますね。
おっしゃる通り、どうせ保存するならこれを残しても良かった気もしますね。
ただこのモニ、かなりいじっちゃていたので上田の電車を持ってくる方が手っ取り早かったのかも知れません。
も507はモニに改造される前から、貨車を牽引するなど野用途に使用されていたようですね。
正村さん
こんにちは。
既に旅客車時代から用途はそちら用になっていたから更新され無かったということでしょうか?
多分そう言うことでは無いかと思います。
モ507が貨車牽いてる画像ありますが、ご覧になりますか?
昭和39年だったと思います。モニになる5年ほど前です。
正村さん
昭和39年の画像ですか。
見てみたいですね。
正村さんのサイトに是非あげてご紹介ください。
遅まきながら、HPにアップしました。
今の所、臨時ページですが、その内「窓から写真の」ページでも作って纏めようかと。
下記から直接アクセスして下さい
http://pleiades.la.coocan.jp/dry/temp/fujikyu.html
正村さん
拝見しました。
電車が貨車を牽く姿、良い風景ですね。
我が目で見たかった光景です。
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