クハ324 80.5.29 北千住 |
北千住の東武線ホームを国鉄常磐線から見るとこんな看板が屋根の上にありました。
ご記憶の方も多いのではないでしょうか?
時は1980年、大学一年の春です。
入部したばっかりの鉄道研究会の同期生と仲良くなっての東武電車撮影行でした。
本日はその時に行った、北千住から川向こうの小菅での古い電車の走行風景です。
モハ7800 80.5.29 小菅 |
7800系の初期車を殿にした準急浅草ゆき。
初期車は正面の窓が一回り小さく、側面の窓サッシュが最後まで木製でした。
モハ7813 80.5.29 小菅 |
こちらも同じ初期車のモハ7800形ですが、前パンタです。
こちらのほうが精悍な姿をしています。
モハ7879 80.5.29 小菅 |
こちらは一般的な姿のモハ7879。
モハ7879は1961年から製造された最終増備車で、世の中の電車があまねくカルダン電車の時代になっていたにも拘らず吊り掛け電車を作っていたのは東武らしいところです。
モハ7892 80.5.29 小菅 |
こちらは下り線・荒川橋梁をフルノッチで加速中の78系準急です。
モハ7879 80.5.29 小菅 |
今では見られなくなった準急東武宇都宮ゆき。
モハ7800 80.5.29 小菅 |
トップナンバーモハ7800も急行線を飛ばしてゆきます。
クハ872 80.5.29 小菅 |
こちらはクハ872。
2連×3の『ブツ6』編成です。
ED5082 80.5.29 小菅 |
こんな貨物列車が都会の駅を通過してゆくのも今では信じられなくなってきました。
『スカイツリーゆき貨物列車』・・・・なんてね。
12 件のコメント:
78の前パンは正に「関東武士」の名がふさわしい面構えです。
・・・そこから東武になったとか(大嘘
ところで貨物列車は緩行線の走行なんですね。
荷電は急行線の走行だと思いましたが、ダイヤの都合でしょうか?
北千住のあの看板、怖かったよう~
なんか○に「日光」って焼き殺されそうな雰囲気で怖かったよう~
さすがにいまはもうないんですよ、ね(核爆)?
12号線さん
78系前パンは結構精悍な顔付きですね。
関東私鉄では珍しい顔付きです。
貨物列車の全てが緩行線走っていたのかは分かりませんが、確かに荷電は急行線走っていました。
日犬殿
北千住の大きな看板、夜見たこと無いのですが、ネオンかなんか光っていたのでしょうね。
夜はもっと怖い?
こんにちは。
12号線さん
単行で準急のダイヤに乗れる荷電に対して貨物は足が遅いので、すべて緩行線での運転でした。北千住→業平橋で準急に乗ると、カーブの向こうに車掌車が逃げていくのがしばしば見受けられました。
chitetsuさん、日犬さん
ネオン、夜は光っておりましたよ。「日光」を囲む円は日輪よろしく黄色かった記憶があります。
冷房がない6000系は夏の混雑時は灼熱地獄でした。「新鋭快速」というわけにもいかず、間もなく「デラックスロマンスカー 新鋭快速」が「人と自然を結ぶ」という、ありきたりな文句に変更になります。6050系が登場するのは5年後です。
小菅に叔父の住まいがあった(塀の高いところではありません)ので、よく利用した駅です。
同行した祖母には階段の辛い駅でした。
荒川放水路(懐かしい)側もいいですが、
五反野側から大きなカーブでやってくるのもいい眺め(今は知りませんけど)の駅でしたね。
前に話した2000系の準急浅草行運用を見たのもこの駅です。
茅場町に帰るのに、地下鉄乗り入れが来た、と思ったら通過していったのでよく覚えています。
小菅に叔父の住まいがあった(塀の高いところではありません)ので、よく利用した駅です。
同行した祖母には階段の辛い駅でした。
荒川放水路(懐かしい)側もいいですが、
五反野側から大きなカーブでやってくるのもいい眺め(今は知りませんけど)の駅でしたね。
前に話した2000系の準急浅草行運用を見たのもこの駅です。
茅場町に帰るのに、地下鉄乗り入れが来た、と思ったら通過していったのでよく覚えています。
赤影様
初めまして。SHOKOのファンです(笑)。
ご覧になった2000系の準急運用は1971年までですね。
この年、8両化になって浅草に入れなくなり、日比谷線直通運用になりました。それまでは8000系と共通運用で、準急でけっこう活躍していました。
赤影さん
小菅のホームは見晴らしが良い駅ですね。
その分風も強く吹いていることが多かった気がします。
2000系がやって来て目の前を通過するのは結構狐に摘ままれたような気分でしょうね。
pointscaleさん
2000系が以前は8000系と共通運用で準急に入っていた時代があったのですね。
日比谷線直通車もいよいよ次の世代に転換する時期が迫ってきましたね。
こんばんは。
今の東武は本当に綺麗になりました。
お写真の全てが消えていったと思えば寂しくも感じますが、鉄道として長い時間の中で確実に進化しているようにも感じられます。
往時の私鉄とは思えないような距離感の列車は、旅への誘いのように思えてきます。
東武宇都宮、伊勢崎、浅草から7800系で乗り通してみたかったものです。
風旅記さん
そうですね、東武もすっかり奇麗になりましたね。
当時当たり前のように伊勢崎、宇都宮に直通する列車があったのが、今や皆無というのも寂しいです。
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