東武東上線上板橋付近も最寄りではないものの、自宅からちょっと頑張れば自転車で行ける距離でした。
学生時代の手余り時間に自転車のかごにカメラを入れて何度か出かけました。
西武池袋線が大きく変貌を遂げたのとは対照的に、地下鉄が並行する東武線の都内区間は今も昔も大きくは変わっていません。
82.4.23 上板橋ーときわ台 |
この付近には人と自転車しか通れない踏切がいくつかありました。
モハ7325 82.4.23 上板橋ーときわ台 |
そんな踏切のシーンにカステラ電車を絡めて撮ってみました。
モハ7847 82.7.20 上板橋ー下赤塚 |
前パン・幌の付いたモハ7800形はそれなりに精悍に見えました。
モハ7847 82.7.20 上板橋ー下赤塚 |
夕食のお買い物のおばさんが待つ踏切を通過します。
82.7.20 上板橋ー下赤塚 |
後に広がる商店街も昭和な雰囲気のお店が並びます。
この手のお店は大型ショッピングセンター抬頭の前にはひとたまりもありません。
便利さと引き換えに無くなったものも多い気がします。
モハ7841 82.4.23 上板橋ーときわ台 |
夕陽を浴びて池袋を目指すモハ7841。
モハ7888 82.4.23 上板橋ーときわ台 |
後期の7800形はパンタが後ろに付くようになりました。
ED5014 82.4.23 上板橋ーときわ台 |
中板橋までの貨物列車も健在でした。
1980年代になってからも、こんな都区内で貨物列車が見られたのは東武線が最後の存在でありました。
11 件のコメント:
環八用地となっていた南側は放置され、電車からうかがうに近所のガキの遊び場になっていたように覚えています。
また、国際観光バスの車庫もときわ台近くにあってモノコック車体の日野RVが休んでいる光景を眺めていました。
今やこの区間8000系すら通わないとは、隔世の感がございます。
12号線さん
記事後半の写真を撮ったところは国際観光バスの車庫のそばであったと思います。
風景は大きく変わっていないものの、走る電車は総入れ替えになっていますね。
いかにも私鉄らしい高圧線鉄塔架線柱の下を貨物が行くのは東上線らしいです。
セージクリームの78もなかなか良いなあ!
Cedarさん
どこにでもあった郊外電車の風景は減りましたね。
最初はぎょっとしたセイジクリームも後で見ると結構良いですね。
ワタシの高校のあるところですネ。
入学した頃はまだベージュとオレンジがいました。
都区内の東上線は立体化工事区間が無いため、高度成長期の頃からあまり変わっていませんね。
特に上板橋-ときわ台は以前の雰囲気が色濃く残っています。
一方、上板橋-東武練馬のうち、環8交差部-東武練馬は線路と並行する道路が出来るなど雰囲気が変わりました。
写真にある踏切の向こう側の商店街も営業している店は僅かになってしまったようです。
余談になりますが、東上線を「芋電」と呼ぶ口の悪い友人はセイジクリームを「粉吹芋」と称していました。
赤影さん
私は、その高校のすぐそばに小学生時代に一年間だけ暮らしていたことがありました。
親と初めて駅前のパチンコ屋に入ってびっくりしたのを記憶しています。
元・いきもの部長さん
ときわ台から上板橋の間は今も当時の雰囲気が残っていますね。
小さな商店街はどこへ行っても惨憺たる状況ですね。
東武線のこと、自分の周りでも芋電、カステラなどと言われていましたね。
私は東武本線のほうの出身ですが、
荷棚を丸ごと作り変えてしまったり、車内に勝手に配線を取り回したり
東上線はけっこう勝手な改造をする(笑)ので、
本線の73・78にはない魅力を感じていました。
私の田舎のほうでは「カステラ」とか「ボロ」とか言いませんでした。
比較対象がなかったからです(笑)。
ステンレスの10000系が試運転で新栃木に来たとき、
乗客たちは「地下鉄が来た」と驚いていました。本当の話です。
何しろこちらは78の車内から見ているわけですから。
低Nさん
同じ東武鉄道ながら、東上線はいろいろな面で東武本線とはやり方が違っていましたね。
私は同じ仕様の電車なのに行き先サボと優等列車の掲示の仕方が違うのが気になっていました。
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