同車は戦後直ぐの1948年に汽車製造会社東京支店でモハ7と8の2両が製造されました。
この2両は山梨交通としては最後に増備された電車となりました。
同線の廃止後は上田丸子電鉄に譲渡されました。
上田丸子電鉄モハ2340形として鉄道線仕様になって活躍、しかしここでも路線廃止に遭遇し、再び失職をしてしまいました。
そこに救いの手を出したのが江ノ島鎌倉観光。
800形として1971年に登場、再び路面兼用仕様に戻っています。
江ノ電では世田谷線から来た600形と同じ連結車として、当時の江ノ電では収容力の大きい大型車両として活躍しました。
廃車後は、801号は山梨県南巨摩郡富士川町利根川公園に、802号は静岡県裾野市十里木高原別荘地内に保存されて、共に現存します。
山梨交通から上田丸子電鉄への転籍の頃の写真はKatsuさんのサイトに画像があります➡最後の山梨交通
801 90.9.23 利根川公園 |
利根川公園に保存された801号車。
江ノ電時代のまま、塗装だけ変更されて保存されたらしいです。
801 90.9.23 利根川公園 |
オリジナルの姿に近い運転台撤去側。
801 90.9.23 利根川公園 |
連結器の機構が丸見えです。
それでは江ノ電時代の現役姿をどうぞ。
802 77.8 長谷ー極楽寺 |
お目汚し画像ですみません。
原形の姿を残していた最後の頃の802号です。
左から306、107、801 80.12.18 極楽寺 |
極楽寺の車庫で憩う電車達。
ここに写る電車達は既に全て引退してしまっています。
木造の車庫も懐かしいです。
801 80.12.18 極楽寺 |
前照灯改造後の姿です。
この頃は未だ客用扉はオリジナルの木製扉でした。
江ノ電時代は色々といじられています。
主電動機は当初の譲受時は一両4台装備であったものの、出力過多と判断され2台外して就役させましたが、藤沢駅高架化工事が行われるとエントランス部の勾配対策として外してあった主電動機が元に戻されるという改造がされています。
また、端部に寄った2扉は乗降時の問題があって敬遠されていたため、1975年に3扉化改造されています。これからは、輸送力の大きい大型車体の連結車として重宝されたようです。
しかしその後は再び連結車であることが災いしてに重連運転ができなかったことなどから現役を引退しています。
801 80.12.18 極楽寺 |
801号バックビューです。
こちら側のほうが、オリジナルに近くて良い感じです。
107と802 80.12.18 極楽寺 |
802号の連結面。
802 82.2.10 鎌倉高校前 |
鎌倉高校前に停車中の802号です。
801 82.2.10 鎌倉高校前 |
こちらの801号の写真が現役最後の画像となりました。
6 件のコメント:
800型懐かしいですね。
ワタクシが小学校時代の時の江ノ電の車両の中で最もお気に入りでした。
車体が古く、モーターの音が500系に次いで煩かった記憶があります。
引退の最終日に峰が原の信号所で1500系と並んだ所を撮影しました。
話は逸れますが鉄コレ10周年の第二弾は福井鉄道200型のようですね。
鉄コレも江ノ電に進出するかも知れませんね。
元・山梨交通の江ノ電800型には、乗った記憶は今となってははっきりしませんが、この電車が「未完の対局」という映画に「出演」するために、青系統のツートンカラー?に塗り替えられていたことは確かに覚えています。
山梨交通の電車が走っていた「南アルプス市」には、7年ほど前に行ったことがあり、国道52号線に沿って歩いていたのですが、途中でその西側に線路跡と思しき道が平行していたのが見えて、近寄ってみると確かにそんな感じに見え、後で調べたらやっぱりそうだったと知ったのでした。
保存電車は見ていないのですが、ネット検索すると山梨大鉄研のHPが見つかり、それを見ると、現在では上屋が設けられているようです。
♯ちょうど今、某国営放送の「中州産業大学教授・森田一義氏」の特別番組で、江ノ電が出ています…。
宵闇さん
江ノ電に行ってからの800形は二扉時代は不遇であったようですね。
鉄コレ次は福井の200形ですか!
良いところ突いてきますね〜。
伊豆之国さん
800形は晩年そんな色に塗られていましたね。
今は結構里帰りは多いですが、当時は珍しかったですね
800形は前照灯2灯化後もあまり姿が乱れず贔屓の車両でした。
極楽寺の木造車庫も懐かしいですね。
このころ、「タンコロ」と呼ばれた100形のさやなら運転があり、乗りに行きました。
元・いきもの部長さん
800形はやはり外様扱いだったのでしょうか。早めの引退でしたね。
極楽寺もタンコロ目当てだったと思います。
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