ワールドカップで時の人となった五郎丸選手の名前で私も駅名がふと浮かびはしましたが、観光スポットにまでなっているとは友人からのメール見るまで知りませんでした。
その五郎丸駅の隣の学校前駅には1981年の早春に200系電車を見に出掛けたことがあります。
西鉄の200系は卵型をしたユニークな電車です。
私が訪問した1981年当時は本線系統の運用は無く、甘木線専用になってからでした。
モ215 81.3.1 古賀茶屋ー北野 |
そんな残念な氷雨の中を甘木線に向かいました。
こちらは、乗車してきた電車をホームから後追いした画像です。
モ215 81.3.1 古賀茶屋ー学校前 |
この鉄橋がネックとなって、走る車両を制限せざるを得なかった模様です。
逆にそのおかげでモ200形が長生きをして、このように見ることができたとも言えますね。
モ220 81.3.1 古賀茶屋ー学校前 |
こちらはパンタグラフが後ろに付いていたモ220。
モ211 81.3.1 古賀茶屋ー学校前 |
こちらは残念なヘッドライトに換装されてしまったモ211。
先日、甘木線再訪をした折車内からこの区間を眺めましたが、雰囲気が全く異なっていて、どこを歩いたのか全く分かりませんでした。
モ215車内 81.3.1 花畑 |
丸い車体をくねくねさせながら走るシーンが印象に残っています。
8 件のコメント:
五郎丸って、宮の陣の隣の無人駅でしたっけ?
Cedarもあそこで200形撮りました。
そうかひとネタ行けましたね〜もう遅いけど…。
本線運用があった頃、西鉄二日市で撮っています。でも乗っていないのが残念。
戦前の気動車の設計思想を採用したことで有名な200形、キハ07系に似ているとよく言われますが、5枚窓や大きさからすると台東線の気動車の方が近いと思われます。
といっても、わかる人はごく一部ですね。
話はさらにマイナーな方向に向かいますが、製造メーカーの汽車会社は200形製造年(1937年)から戦争終結まで気動車の製造がなく(相模鉄道の電気式ディーゼルカー用付随車を除く)、電車に活路を求めたのかもしれません。
また、前年には北九州鉄道と樺太鉄道に5枚窓の流線形気動車を納入しており、これをキハ07系風に傾斜なしの前面デザインにしたとも考えられます。
なお、北九州鉄道は1937年に買収され筑肥線に、翌1938年には気動車が原則新製禁止となっています。
余談ですが、chitetsuさんが撮影された頃、源五郎丸という野球選手が話題になっていました。(笑)
Cedarさん
宮の陣の隣の駅ですね。
変わった名前だったので覚えていました。
今回ネタは友人からの情報で思いつきました。
モハメイドペーパーさん
さすが、本線時代に撮られていますね。
その当時は甘木線はどんな電車だったのでしょうか?
三等急電さん
当時は国外向けにも結構類似の気動車が製造されていましたね。
台東線のもキハ07をスケールダウンして設計したような感じだったのではないでしょうか?
源五郎丸選手、その当時でしたっけ?
知りませんでした。
かっこええなー
このスタイルで中間電動車だのサだのクだのがあるのもステキ。
ありがとうございます!
犬宰府天満宮殿
卵型電車の4連はなかなか良かったですよー。
もうちょっと撮っておけば良かった電車ですね。
コメントを投稿