これまでは乗り換え利用ばかりで、会津若松の駅に降りたのは初めてです。
14.6.7 会津若松 |
駅前にはC57の動輪が置かれていました。
栄螺堂 14.6.7 会津若松 |
会津若松市内循環バスで市内の重要文化財、栄螺堂(さざえどう)を見物。
なんとも不思議な、上り下りが螺旋状に別ルートになった世界的にも珍らしい建造物です。
建物好きの私にはこちらも楽しいです。
でも、なんぼ眺めても構造がよく理解できませんでした。
見物の後、ケバいラッピングの会津鉄道気動車で宿泊地へ。
会津線が第二次特定地方交通線に指定されたのが1984年の6月、今から丁度大学卒業と同じ30年前のこと。
3セク化のための会津鉄道が設立されたのがその2年後のことでした。
3セク化当時の車両は既にイベント車両を除いて置き換えが終わっているようでした。
14.6.8 湯野上温泉 |
本日の宿泊先最寄りの湯野上温泉で下車。
14.6.8 湯野上温泉 |
宿泊したのはこちら、『星乃井』さん。
案内をしていただいた支配人のお話では、湯野上温泉は県内二番目の湯量を誇り、旅館だけでなく各家庭にも湯が引かれどこでも源泉かけ流しが24時間楽しめる恵まれた環境だということでした。
美味だった夕食 |
料理も美味しく、大変親切に対応をして頂きました。
朝は早起き、おっちゃんの鉄則です。
翌朝は霧雨も止んできたので早朝散歩です。
14.6.8 湯野上温泉 |
新緑が眩しい光景。
マイナスイオンをたっぷり頂きました。
14.6.8 湯野上温泉ー塔のへつり |
田んぼを撮っていたら列車の時刻になって慌てて撮ったのはこんな写真。
構図もイマイチなら車両もイマイチですね。
14.6.8 湯野上温泉ー塔のへつり |
こちらは同行の友人が見つけた場所。
始発列車を早起きして撮ったという撮影画像を見て、自分も撮りたくなって改めて案内してもらって撮りました。
83.11.13 湯野上ー弥五島 |
実は、この鉄橋は国鉄時代(↑)と会津鉄道になってから(↓)、反対側の道路から撮っていたことを自宅に帰ってから思い出しました。
87.10.11 湯野上ー弥五島 |
国鉄時代はキハユニが付いた3連、会津鉄道になってからも基本3連で走っていました。
今は単行か2連での運用が多いようです。
ここでも乗客の減少にはなかなか歯止めがかからないようです。
14.6.8 大内宿 |
朝食後は有名な大内宿まで星乃井さんのバスで送迎をしていただいて堪能。
昼食もお蕎麦をたらふく食べてずいぶんこの二日間で体重を増やしてしまいました・・・・。
14.6.8 湯野上温泉 |
そして再び湯野上温泉駅に。
14.6.8 湯野上温泉 |
湯野上から一路東京へ戻る乗車列車はAIZUマウントエキスプレス号。
以前は名鉄の気動車が走っていたはずですが、今はどんな列車がやってくるのか楽しみにしていたら・・・
嗚呼・・・普通の列車でした・・・。
その上席はかなり満席に近い状態・・・。
空いている席に皆分乗。
・・・・・・・・
キハ58456 83.11.13 会津田島 |
列車の中では殆んど記憶が飛んでうたた寝。
途中のこの駅も記憶がおぼろげですが、国鉄時代の会津田島駅はこんな感じでした。
87.10.11 会津田島 |
こちらは3セク化直後の会津田島駅。
保安装置が一新されている以外はそんなに変化がありません。
しかし、よもやこの駅が電化されて浅草から電車がやって来るようになるとは思いもしませんでした。
ATー102 87.10.11 会津田島 |
開業間もないこの時、ATー100形もピカピカの新車でした。
今は一両を残して廃車のようです。
84.4.30 会津滝ノ原 |
今回爆睡で通過した会津高原尾瀬口駅は、こんな感じでした。
全く現在の姿が想像できない光景です。
84.4.30 会津滝ノ原 |
凸凹気動車編成がのんびりと折り返しの発車待ちをしていました。
AIZUマウントエキスプレス号は降りしきる雨の中をゆったり走ります・・・。
ZZZzzzz・・・・・・
モハ106-6 14.6.8 鬼怒川温泉 |
そして、目覚めたら既に新藤原。
鬼怒川温泉からはJR直通新宿ゆきスペーシアで帰宅の途に。
この列車も昔では考えられないルートを走る電車です。
卒業30周年の節目にふさわしい、楽しいおっちゃん同期会旅行でした。
6 件のコメント:
へー
3年前のオレの不発SM旅行のまるっきり逆コースを楽しまれたですねー!
昔の会津田島駅、やっぱりええなあ!
ニッポン一普通のニッポンの駅って感じです!
写真左手のそれぞれ1本突っ込みの機関庫と転車台、右側本屋側のスイッチバックの貨物側線も大好きでした。
しかし、いまのアレはなんなんでしょうかっ!?・・・・・
栄螺堂は14:2のウォームを思い描けばよいのですww
アイヌ田島殿
そうでしたか~。
結構逆コースをたどる人も多いんですね。
ばんえつ物語号は新潟行の乗客は若松行よりかなり少ないと聞きました。
会津田島駅は小さな機関庫も残っており、良い風情の駅風景でした。
赤影さん
・・・なるほど!
納得しました!
前回のコメントでも書いた通り、この14年前の旅路は、浅草から東武~野岩経由でまず会津田島に立ち寄り、町並みの外れにあった「祇園会館」を見物。田島の祇園祭は、地元では「日本三大祇園祭」に数えられるものとして自慢にしているそうで、館内には祭り行列の模型も展示されていました。それから湯野上温泉で降りて、タクシーで大内宿へ。これは実はkatsuさんのブログにも投稿しているのですが、大内宿には、その24年前の学生時代、まだ世間にその存在が知られていなかった頃に訪れたことがありました。宿の人に教えられて大内宿を紹介したパンフレットを受け取って、24年後のときと同様、タクシーで大内宿を目指すことに。当時は大内宿への道路は改良工事の真っ最中、あちこちで発破がかけられ、進んでは止り、といった具合。こうしてようやくたどり着いたその先には、茅葺屋根の民家がずらり立ち並び、まだ俗化されていない、江戸時代の面影も色濃い山間の集落が。それはまさに「桃源郷」の趣でした。
そして24年の時を経て再び訪れた大内宿。今回の写真の如く、観光バスを連ねてやってきた観光客の大行列。道路も見違えるように快適になり、失われていた本陣の建物も復元されて、観光地として整備されたのと引き換えに、秘境感と素朴さは失われていったのでした。
「さざえ堂」は、その2度目の大内宿訪問の後、芦ノ牧温泉に一泊し、喜多方から「ばんえつ物語」に乗るまでの間、会津若松での短い滞在時間を利用して、隣接する「飯盛山」見物のついでに見ています。堂内は螺旋階段で上り、知らぬ間に下りて行く、という不思議な構造になっていて、その昔は江戸の深川だかにもあって、浮世絵にも描かれているほどよく知られた名所だったそうでした。
会津鉄道には、大震災から5ヶ月を過ぎた3年前の夏休み、湯西川温泉に一泊の後、田島からトロッコ列車に乗って会津若松まで乗り通しています。吹きさらしの車両に乗り、吹き抜ける風の快適さにしばし暑さを忘れたのですが、長いトンネルに入ると一転、嵐のようなすさまじい強風がTシャツ一枚の肌を突き刺し、「寒い!」というくらいに震えたのには参りました。会津若松では、市内巡りのレトロバスに乗り、30数年ぶりに鶴ヶ城を訪れています。
伊豆之国さん
大内宿は本当に有名になりました。
私も23年前の冬、雪景色の大内宿を訪れた事がありますが、今とは違って観光化されていなかったのを思い出します。
今はピーク時は国道から延々渋滞、駐車場に入るまでに3時間ということもあるらしいです。
さざえ堂は今回訪問するまで存在を知らなかったのですが、実に珍しい構造の建物ですね。
コメントを投稿