最終日の様子はこちらもご覧下さい(⇒いすみ鉄道社長ブログ 台湾鉄道三昧の旅 最終日)。
13.6.24 左營 |
最終日は朝6:30出発で、台湾新幹線で台北に一気に戻ります。
高雄側の始発駅は左營。
新大阪みたいな感じですが、新高雄なんて駅名ではありません。
台鉄の自強号あたりは左營の駅は平気で無視して終点高雄まで止まりません。
このあたりが経営主体の違いなのでしょう。
13.6.24 台北 |
台北駅で在来線に当たる国鉄線に乗り換えます。
最初の旅程表ではバス移動だったのが、往復電車移動に変更になるあたりも普通では考えられないと言うかクレームになってしまいそうな変更など、鉄道好きに配慮したこのツアーが只者ではないことを裏付けています。
E231 13.6.24 台北 |
列車待ちの間に反対側ホームにやって来たのは、電気機関車牽引の客車列車です。
こんな列車が首都の地下駅にしよっちゅうやって来るのも驚きです。
日本では四半世紀前には消えてしまった風景ですね。
13.6.24 七堵 |
電車で向かったのは台北郊外の七堵機務段です。
こちらは日本で言うところの田町電車区+東京機関区のようなところで、広大な構内には機関車、客車、電車があちこちに分散して止まっていました。
事務所の入口にはここでも歓迎札が。
EP101 13.6.24 七堵 |
ここでの私のお目当ては、やはり吊り掛け電車です。
こちらは台湾で1978年に最初に導入された電車EMU100形で、イギリス製の特急車で、吊り掛け駆動の電車です。
EP101 13.6.24 七堵 |
仲間の大半は既に鬼籍入りをして、残っているのはひと編成だけとの説明がありました。
EP101 13.6.24 七堵 |
こちらは恐らく放置中の仲間です。
EM306 13.6.24 七堵 |
検修庫で点検中のEMU300形。
こちらはイタリア製で、新造時最駿足の吊り掛け駆動の電車です。
用途は100形と同じく自強号(特急)用の電車で、客用扉は手動だそうです。
EM306 13.6.24 七堵 |
正面のアップ。
特別にヘッドマークを(両面テープで)付けてくれました。
EM306 13.6.24 七堵 |
前面は横から見ると斜めになっている辺りは流石イタリアンデザイン?
このゴツイ緩衝幌、阪急のPー6を思い出します。
このEMU300形を製造したイタリアのSOCIMI社はその後倒産してしまったそうで、現在は部品の確保に難儀しているそうで、どうしても稼働率が落ちてしまうようです。
これは最近日本から輸入した電車以外ではかなり故障に悩まされているようで、初日に乗ったEMU1200形が故障で一時運用から外れていたことでも分かります。
この電車を作った南アフリカの会社やその後に納入した韓国のメーカーはどちらもアフターフォローが悪かったようで、最近の電車調達の入札にも参加ができなかったようです。
仕事では身につまされる話ですが、パートナー選びは難しいですね。
R153 13.6.24 七堵 |
群がる集団 13.6.24 七堵 |
構内では他に電気式ディーゼル機関車のターンテーブル回転サービスや・・・
13.6.24 七堵 |
日本の大正天皇が乗った貴賓車の見学も出来ました。
左は貴賓車老朽のため新造された第二世代の貴賓車。
E210 13.6.24 七堵 |
E210 13.6.24 七堵 |
運転手の方もニコニコです。
E1061 13.6.24 七堵 |
最後は、車庫を出庫する自強号に専用ホームから乗せて貰い、区長さん他皆さんの笑顔に見送られてそのまま台北へ戻り、短くも濃厚な鉄道三昧の旅が終わりました。
切符各種 |
同じ自強号でも切符の大きさはマチマチのようです。
右側上の切符は新幹線の切符で、その下は最終日に訪問した七堵機務段の見学証明書で、日本語+区長(正確には段長)のサイン入り。
こんな配慮も嬉しいですね。
現業機関でのお土産品 |
左側の本は開通100年記念誌、その右の貴賓車のパンフは今回の訪問に合わせて刷っていただいたらしく、訪問当日の日付が入っていました。
嬉しいですね・・・こういうもの。
その他のお土産 |
その他のお土産品です。
台北ほか大きな駅数駅には鉄道グッズを扱うショップがあって、色々なものを売っており、また駅構内のセブンイレブン(多数存在)にも鉄道グッズが売られていました。
そんな中からいくつか購入しました。
左側の切符は俗に言う縁起切符で、ショップで販売するものを鉄路局からプレゼントしていただいたものです。
手厚い配慮の数々・・・嬉しい限りです。
今回の旅を総括しますと、
①初めての台湾は想像よりもよっぽど治安も良く、人々は明るく親切。
日本語の通じない沖縄県に行ったみたいで違和感が無かった。
②日本よりも考え方が合理的で理に叶っているものも多く、却って日本が見習うべきことも多い気がしました。
③企画者が鉄道好きコンビという事で大変内容の濃いもので、現場の方々何処でも大変良くして頂けたのも、関係者の努力の賜物で、一人で行っては決して体験出来ない内容でした。
SPK32609 13.6.23 知本 |
もっと早く行っておけば良かった・・・と思うとともに、思い切って行って良かったと思えた今回の台湾鉄の旅の報告、これにて終了です。
8 件のコメント:
海外旅行経験のない私にとって、「自強号」
といえば、鉄道雑誌で見たEMU100系(と
言うんでですね)が印象に残っています。
つり掛け式で100km超で爆走していたところ
が見たかったです。
台湾の鉄道の魅力を堪能された旅でしたね!羨ましい限りです。
私の行った頃は、台北の車両基地は松山~南港の間にありました。
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2013-03-09
南港まで地下化されるので七堵に移転したのでした。
当時は七堵は貨車の操車場でしたね。
検索して、このブログを見つけました。
ツアーに参加させて頂いた者です。 楽しかったですね! 帰国してから、もう一週間・経ってしまいました。
私が写っている写真が有り、懐かしく見ております。 台湾には、またぜひ行きたいと思っています。
また、何処かの線路端でお目にかかりましょう!
つのすけさん
自強号はイギリス、南アフリカ、イタリア、日本と順番に輸入先が変わってきました。
それにしても吊り掛け特急が現役なのは嬉しい限りです。
Cedarさん
昨晩はありがとうございました。
2泊3日の台湾鉄旅は充実していました。
ち悪化される前の松山の風情、良いですね。
これぞ、台湾!って感じが伝わってきます。
客車の最後尾に立つ輩、懐かしい風景です。
streetcarさん
ツアーご一緒だったのですね。
その節はありがとうございました。
濃厚台湾の旅、楽しかったですね~。
あっという間に一週間が経ちました。
いただいた本やパンフを読み返しているところです。
勉強と違い、復習はちゃんとします(笑)。
また機会がありましたら、行きたい国でした。
またどこかでお会いしましょう!
どうしても自強号と東武5700系のポジションが重なってしまいます。
東武の5700系も最高速度95キロとなっていますが、実際は100キロでさよなら運転時に走行したのが当時のツアー参加者の間で話題になっていました。
5700系と言うと夏の吊り掛け電車の代名詞でしたが・・・この時期に引退して、もう20年以上前というのが時代の流れでしょうか。
この時期は「窓を全開でモーター音を楽しむ」のが当時の定番でしたねぇ(^^)。
SMEさん
こんにちは。
東武の5700は最後まで残って吊り掛け特急車ですね。
私も『原人列車』というので乗りました。
台湾の吊り掛け特急は窓が開かない冷房車という点がちょっと異なっているところで、吊り掛け音が聞き取りにくいのが残念なところです。
コメントを投稿