京急デト30形です。
デト30形は1949年と1964年に木造無蓋車の改造名義で製造された無蓋電動貨車で、合計4量の仲間が居り、新町と文庫の車庫に其々間にト70形を挟んだ3両編成で配置されていました。
前後の運転台は車幅一杯にあるわけではなく、細身の運転台に窓が一個の『一つ目小僧』スタイルで、これは京王線のデトと双璧をなす珍車ではないでしょうか(京王のデトはこちら⇒京王帝都の二つ目玉電車)。
デト31 80.6.5 神奈川新町 |
先ずは新町配属のデト31。
何とも愛嬌のあるお顔です。
一つ目小僧のお化けみたいとも言えますが、細部のディテールがちゃんと京急スタイルになっているのはさすがです。
しかしながらこの電車、たまに昼間走行していましたので、駅で見た人はさぞかしびっくりしたことでしょう。
デト32 80.6.5 神奈川新町 |
品川方にパンタグラフ、浦賀方に無線アンテナが狭いスペースに配置されています。
電動機は230形から頂いたものに交換されています。
この車も『かっ飛び』するんでしょうか?
残念ながら走行シーンは見ずじまいでした。
ト71 80.6.5 神奈川新町 |
中間に挟まれているト70形71。
台車とかはちゃんと電車モードになった無蓋車です。
80.6.5 神奈川新町 |
この時撮った新町検車区の全景です。
夕方の出庫を待つ赤い電車たち。
庫内は今は無き1000形だらけでした。
何故か向かって左側は主力電車グループ、右側はロートルグループに分かれていました。
偶然かもしれませんが・・・。
右手には未だ急行運用を担っていた(末期の本線吊り掛け車は各停では足が遅くて使えないので急行運用中心だったと聞いたことがあります)420形も待機中です。
デト32 80.6.5 金沢文庫 |
次は文庫の30形です・・・が、
こちらは単車で構内を走行中の新町配置のはずのデト32。
新町からやってきたのでしょうか。
パンタを上げると中々男前?
デト33 89.2.19 金沢文庫 |
こちらが文庫配置のデト33。
デト33と34は1964年製造で、いわば京急最後の新製吊り掛け電車ということになります。
デト31,32とは細部が異なるらしいのですが、パンタ台の形状以外見た目であまりその差は分かりませんでした。
デト34 89.2.19 金沢文庫 |
こちらが相方のデト34。
ト72 89.2.19 金沢文庫 |
そしてこちらも中間にト70形が挟まっています。
デハ1053、デワ43・・・ 89.2.19 金沢文庫 |
文庫の車庫のスナップです。
こちらも1000形が主力でした。
次はおまけです。
デト20形。
湘南電気鉄道が1931年に製造した無蓋電動貨車で、デト30形の大先輩です。
戦前の写真を見ると大量の手小荷物を山のように積んで走行しているシーンがありましたが、既に30形に主役は移行して、救援車的な扱いになっていました。
デト21 80.6.5 神奈川新町 |
デト22 80.6.5 金沢文庫 |
こちらがデト22。
どちらも戦後生まれのデト30形よりも古めかしいデザインです。
この『デト』タイプの無蓋貨物電車、大手私鉄でも電鉄系の鉄道にしか基本存在しませんでした。
汽車から発展した西武、東武では電気機関車の仕事だったのでしょうね。
7 件のコメント:
蒸気鉄道が出自の線区では見られないデト。京成の木造モニや京王のものなどと並んで、気になる存在でした。
都電の乙や玉電にもいましたね。関西にはアメリカのインタアーバンそのもの!ってデザインの無蓋荷電がいました。
~って、つまならいコメですみません。いまからトイレでデトックスしてきます。
これもchitesuさんのテリトリーだったんですね!!
このころ小生はクモル230050にぞっこんでした。
往年の京急といえば、シールドビームの一つ目小僧が特徴でした。
無蓋電動貨車までそうなっていましたね。
最後の一つ目小僧となった800系も廃車が進み、時の流れを感じます。
そういえば、縦型モーター+インサイドギヤが主流だった頃、無蓋電動貨車は駆動方法が難問でした。
パワートラックやMPギアの出現で容易になりました。
こちらも、時の流れを感じます。
Cedarさん
スッキリされましたか?
京成のモニもいい感じの電車でしたね。
京阪のカモデン、アメリカンですね。
maru-haどの
ガニ股君も
勿論テリトリー内ですよ!
コメントダブってたので一個削りますね。
元・いきもの部長さん
京急といえば細いシールドビームの前照灯がトレードマークでしたが、それも800形を残すのみですね。
デトは模型化のハードルが高かったですが、今ではお茶の子さいさいですね。
コメントを投稿