自動車なのか電車なのか良く分からない名称の電車は随分昔に記憶の彼方に去ってしまいました。
バス会社のような会社名ですが、宮城バス等このような例は全国で何件かありました。
そんな法勝寺の電車の遺影を求めて、寝台特急出雲で一路米子を目指しました。
まずは米子からその日の丸自動車のバスで法勝寺を目指します。
ここ鳥取県には日の丸自動車と日本交通という、名前の大きさを競ったような社名にの二社がバス路線網を広げているのも興味深いです。
さて、バスの車窓からは電車の廃線跡と思われるような遺構も見え隠れしており、そのような風景を眺めながら法勝寺に到着です。
法勝寺の駅の跡は何も残っていませんでしたが、周りの雰囲気で場所は何となく特定できました。
次は、目的の電車を探します。
すべてデハ203 94.12.31 法勝寺 |
保存電車は元の駅からは少し離れた場所に鎮座していました。
大変貴重なダブルルーフ、木造の電車です。
訪問時の印象は、きれいに整備されている印象を受けました。
フ50 06.4.19 米子 |
たまたま仕事の出張で米子に泊まった折に早朝に訪問を果たせました。
米子駅からはそれなりに歩く商店街のアーケードの脇の広場に忽然と明治のマッチ箱の残党が置かれていました。
何故ここに?とういう立地でしたが、こちらもきれいに整備されていました。
2 件のコメント:
法勝寺で保存されていたのはデハ203でしたか。
203は今でも私が最も好きな電車です。
日の丸自動車・法勝寺電鉄なる奇妙な山陰の地鉄を訪問した時、
朝の米子駅で2軸客車を牽く203の光景が衝撃的でした。
2軸客車と供に素晴らしい鉄道遺産を保存して下さっている地元に頭が下がります。
katsuさん
貴ブログのデハ203の現役時代の写真、素晴らしいですね。
この電車を予備知識なしで見たらさぞ感激したのではないかと推察します。
古い木造電車と木造二軸客車が大山の梺を走行するシーンが目に浮かびます。
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