2023年6月13日火曜日

静岡鉄道 駿遠線の遺構

 静岡鉄道駿遠線全線廃止からも50年以上経過しています。

先日横須賀に行った折にその遺構を少し見てきました。

23.5.25 五十岡

訪問したのは袋井に近い五十岡駅です。
ホームの上屋は現役時代のものではないですが、ホーム自体は現役時代のものです、


ホームから横須賀方向を見ます。
今にも列車がやってきそうな雰囲気です。


駿遠線の説明をしたこのようなものが駅の脇に建っています。


駅の脇にはシンボルツリーが。
鉄道があった時からきっとあったのでしょうね。


線路跡はサイクリングロードになっています。
鉄道時代の橋梁を改造したものです。


鉄道の代替バスは既に静岡鉄道ではなく、子会社の秋葉バスサービスという会社になっていました。


4 件のコメント:

  1. あの節はお疲れ様でした。こじんまりといい感じの遺構でしたね。

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  2. 駿遠線は、私の小学生時代にその存在を知ったのですが、その頃には既に新藤枝~大井川間を残して消えており、乗る機会がありませんでした。ネット環境になってから、駿遠線に関する貴重な資料が書かれた記事がいくつか見つかり、大井川の粗末な橋が補修さえできず結局これが命取りになった東側のほうでは、今や相良・榛原から東名吉田経由で静岡市とを結ぶ高速バス路線が「朝夕は数分毎に運行される」という大繁盛なのに対し、やはり西側のほうは早くから相当厳しい状態で、真ん中が早々と切られた後は状態の悪い車両が回されていた、ということも書かれていたようでした。以前、TV番組で「東海道中バス乗り継ぎ旅」というのがあり、駿遠線のルートをたどるバスを乗り継いで浜松までつながった、という場面があったのですが、分社化された、となると、果たして以前のようなスムーズな乗り継ぎができるのでしょうか。
    「五十岡」と書いて「いごおか」、初めて見た人は多分読めないでしょうね。とにかく「五十」の付く駅は難読ぞろい。「五十崎」(いかざき)、「五十島」(いがしま)、「五十猛」(いそたけ)、「五十川」(いらがわ)、「五十鈴川」(いすずがわ)…。苗字の「五十嵐」さんは、「いがらし」と読むことが多いですが、新潟県では「いからし」と濁らない人も多いようです。
    「秋葉バス」…袋井から遠州森方面へ向かう、かつての「静鉄秋葉線」のルートも同じ会社の運行でしょうか? 袋井駅には、5年前の春の連休で、浜松まつりの帰り、袋井駅で降りて「目」と「足」の健康にご利益があるという「油山寺」までタクシーで往復したのですが、袋井駅の北口には「秋葉口」、南口には「駿遠口」という愛称がつけられていました。余談ですが、「秋葉口」の名を見て、私のような「オジサン」でも知っている「AKB」のヒットナンバーが脳内をぐるぐる駆け巡ったのには、自分でも思わず苦笑してしまいました。藤枝で開かれた「軽便」と模型の展示会を見に行ったのは、この時で、掛川城を見た後、東海道線がストップしてしまい、新幹線に飛び乗って静岡駅まで行って引き返し、何とか間に合ったことは、以前ら書き込んでいました。

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  3. Cedarさん
    ちょっとだけですが、遺構が見れて良かったです。

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  4. >伊豆之国さん
    >西側のほうは早くから相当厳しい状態
    中遠鉄道の頃から藤相鉄道より余裕がなかったらしく、全国時刻表(当時は「汽車時間表」)1925年4月号復刻版を見てたところ、あからさまに列車本数が藤相鉄道より少ない他、藤相鉄道は連帯線(全駅で国鉄と連絡運輸する路線)なのに、中遠鉄道は特定の駅で降りないと連絡運輸してもらえませんでした。
    (もっとも大手でも路面電車系の路線は原則非連帯線で、「何時から何時までn分おきに列車が出る」と適当な時刻表でしたが)
    ちなみに静岡鉄道合併時も静岡電気鉄道が他4社を吸収する形でしたが、藤相鉄道だけどんぐりの背比べの中では大きいどんぐりだったらしく、他4社のうちでは株主が少し優遇されたそうです。

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