前回の記事で東八幡平の客車の画像を掲載しましたが、その時にもうちょっと客車を撮っていましたので、こちらに集めてみました。
撮影したのは1987年の5月4日。そんなに前な気がしていなかったのですが、もう34年も前の記録です。
客車のカラーリングは窓廻りはクリーム色ながら、上下はブルー系とレッド系の二種がありました。
出自はウイキペディアによると、このようになります。
『戦災により1946年(昭和21年)に廃車された国鉄スニ3018(1927年〈昭和2年〉日本車輌製)を譲り受けたもの。荷物車を客車に改造したもので、台枠を延長して車体長さを20 mとし、二重屋根・折妻から円屋根・切妻の形態となり、原型をとどめない。』
国鉄オハ35系のデザインの流れの客車で、戦災で廃車された国鉄スロハ321を譲り受けたものとされます。松尾鉱山関係の重役などが乗車する特別室が設けられており、上の写真の荷物扉の様なものがその特別室出入口部分かと思われます。
松尾鉱業の現況、廃車体の画像、興味深く拝見しました。思えば1960年代後半から70年代前半は石炭から石油へのエネルギー転換で北海道の炭鉱鉄道や沼尻鉄道のような硫黄輸送鉄道が次々と廃線になりました。以前、松尾鉱業が盛業だった時代の映像を見ましたが娯楽施設もあり理想郷のようようだったようですね。それが数年で廃墟になるとは・・当時の産業構造の変化はすさまじいものがありました。近年の脱炭素化で鉄道がまた見直される日が来るといいですね。
返信削除t o b oさん
返信削除1970年ごろはエネルギー転換に伴なって様々なことが発生しましたね。
資源が枯渇していなくても、このようなことが急速に起こるものなのですね。
当時は子供で、TVで見るだけの世界でしたが、当事者は大変であったと思います。