2014年1月7日火曜日

三岐鉄道、一瞬の邂逅

1977年夏、内部・八王子線のナロー電車を見に行った折(こちら⇒近畿日本鉄道 特殊狭軌線)の帰りがけに近鉄富田で下車、次の電車が来るまでのちょっとした時間にやって来た三岐鉄道の電車をパチリと写した写真です。

モハ100 77.7.13 近鉄富田

昭和31(1956)年の電化開業時に国鉄から買収国電を購入した、電化第一弾の電車です。
元を正せば豊川鉄道(⇒飯田線)の電車で、国有化後は転々とした後の最後のご奉公でした。
この電車はこの後早々に姿を消し、この1枚が最初で最後のカットとなりました。

モハ155 77.7.13 近鉄富田

こちらもある意味旧形国電の譲り受け車ということになります。
相鉄の更新車体に西武の下回り=旧形国電を組み合わせた電車です。
この電車は黄色ベースの新色に塗り替えられてもう少し長生きしましたが、厚化粧の感が拭えませんでした。


8 件のコメント:

  1. 良いですねぇ~
    失われた、日本の田舎電車というイメージそのものですね。

    相鉄2000系もそんな風景にすっかり溶け込んでいますね。

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  2. 宵闇さん
    貨物列車中心の三岐鉄道の電車は電化当時は中古品ばかりでした。
    当時の田舎臭い塗り分けと合わせて田舎電車の雰囲気がいっぱいでした。

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  3. 同じ頃に行ってますねぇ~。

    http://blogs.yahoo.co.jp/de_eb_zzzz/30172069.html

    今さらですが、あけましておめでとうございます。
    今年もよろしくお願いします。

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  4. モハ155は相鉄の2000系にしては横におデブな感がありますね。。。

    更新された点がそれなのでしょうか。
    ちょっと調べてみますね。

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  5. 赤影さん
    明けましておめでとうございます。
    ほんと、似た時期に似たようなところで撮ってますね。
    でも雪の中、ちゃんと奥まで入って走行シーンをとっているのは流石です!

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  6. 波多野さん
    確かに相鉄電車のイメージより横に広がっている気がします。
    正面のライトとかの影響でしょうか?
    新塗装になってからはなお一層そんな印象がありました。

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  7. 元・いきもの部長2014年1月9日 3:00

    モハ100は、豊川鉄道、鳳来寺鉄道(⇒飯田線)、田口鉄道(⇒豊橋鉄道田口線)が製造した、いわゆる川造型電車(他社製も含む)の一員です。
    国鉄時代に屋根まわりを改造、三岐入線時に側窓の二段化や貫通幌の設置が行われて、川造型とはわかりにくい外観になりました。
    伊勢湾を挟んで対岸にある豊橋鉄道渥美線の旧田口鉄道車は、対照的に晩年まで原型の面影を残していました。
    三岐鉄道は電化と同時に貨物列車を電気機関車牽引に切り替えましたが、非電化の国鉄四日市駅乗入の関係もあって、旅客の電車化は電化の2年後から順次行われ、近鉄富田駅連絡線完成の頃まで気動車が残っていました。
    そういえば、佐久鉄道(⇒小海線)の買収気動車も購入していて、電車化の進行により別府鉄道へ譲渡、路線廃止後は原型に復元し佐久市で静態保存されました。

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  8. 元・いきもの部長さん
    解説、ありがとうございます。
    三岐に行った元豊川車は確かに俄かには川造形とは思えぬ変貌を遂げていますね。
    豊橋に行った電車とは対照的です。
    電化時の経緯も貨物主体の鉄道らしいと思います。
    佐久市に保存された気動車、ずいぶん前に見に行ったことがあります。

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