2013年11月26日火曜日

長野電鉄2000系 昭和の頃



長野電鉄2000系は昨年まで長く長野電鉄のエースとして活躍をしてきました。

湘南顔譲りの2枚窓の前面形状や側面の扉及び窓配置などの基本的スタイルやファンデリア装備の薄い二重屋根(モニター)を装備なども含めて、二年前から製造された名鉄5000系の影響を強く受けており、また車体断面形状は同じく名鉄5200系と同様であり、この二つのデザインの折衷型と言えます。

同じ日車が製造した富山地鉄の10020形も名鉄5200系似であるあたりと合わせて興味深いです。

また技術的には狭軌用WNモーターとしては日本初の75kW形電動機を装備した意欲作でもありました。

そんな2000系の昨年までの道程を振り返ってみたいと思います。
モハ2007 77.5.1 須坂
最初に見た2000系は須坂車庫に居た最終増備車でスカート付きのD編成でした。

モハ2002 87.7.25 信州中野

改築前の信州中野の駅構内で見たA編成。

モハ2001 87.8.13 湯田中

改良前の湯田中の駅に停車中の2000系A編成。
この当時は踏切の先(写真では手前)の終点部分まで線路があって収束していました。

モハ2001 87.8.13 湯田中
もう少し近づいてみます。
右手の駅舎は今も健在な旧駅舎。

モハ2001 87.8.13 湯田中
勾配を上り詰めた駅構内の配線は厳しく一旦オーバーランしてから少しバックして停車するほどでした。
2000系の3連はホームぎりぎりでした。。

モ5009(左)、モ5007(右) 80.3.7 東枇杷島
似た者同士の先輩、名鉄5000系です。


名鉄が1955年から製造を始めた初の高性能車で、当時の流れ通りの全電動車方式でした。
駆動方式は2000系とは異なり、中空軸平行カルダン駆動になっています。
右と左の電車では同じ5000系ながら窓まわりの造作が異なります。
モ5009 83.3.1 東枇杷島
東枇杷島にて。

1 件のコメント:

  1. 動画製作に使用したいのですが
    画像をお借りできませんか?
    (動画紹介にリンク貼ります)
    よろしくお願いします!

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