2012年3月11日日曜日

3.11に想うこと

1979の初春、どんよりとした天気の陸前小野駅に降り立ちました。
目指すは成瀬川に架かる橋梁です。
高城町から先の区間は本数がかなり少なく、訪問が遅れ73系電車を撮ったのはこの一回だけでした。

クハ79154 79.3.30 野蒜ー陸前小野
変形窓のクハ79154を先頭にした4連。
何ともメリハリの無い画像ですが。

クモハ73301 79.3.30 野蒜ー陸前小野
 

クハ79943 79.3.30 野蒜ー陸前小野

 この列車を撮った後、野蒜まで田圃の中の道を歩いてゆきましたが、歩いても歩いても中々駅まで着かず、野蒜の駅についた時にはヘトヘトになった記憶があります。

会社に入って随分経ってから東北に勤務したことがあります。その時の松島出身の同僚が、高校の同級生が野蒜の海側の大浜海岸で民宿をやっていて、すごく海が綺麗な所だということで誘われて、その同僚の家族と二家族で海水浴に行ったことがあります。
漁師もやっていたその友人家族に歓待を受け、漁船で沖合まで連れて行ってくれたりしました。
子供も初めての漁船体験で、沖合の水しかない世界に怖さ半分ながらも、大はしゃぎでした。

また行こう・・・と言いながら行く機会もないまま再び東京に戻り、去年の3月を迎えました。
報道を見る限り、野蒜付近で仙石線の電車さえ流された状況から考えて、間違いなく津波を被ったと思われ、同僚に聞いても連絡がつかない状態のまま現在を迎えています。
この日を迎え、被災した方々に黙祷を捧げたいと思います。

4 件のコメント:

  1. 仙石線の写真、とっても良いです!
    モロクロームもまた印象的で。
    ゲタ電もウグイス色って似合う!ですね。
    なぜか茶色で見るよりも一段魅力アップ感じますです。

    僕もこの写真から2年後頃に石巻往復いたしました!
    塩釜近辺?のごちゃごちゃ感と海岸線の優美さと・・・
    魅力いっぱいな東北の電車。
    昨年の被災で真っ先に思い当たったの、やはりココでした。。

    大変な一年だったと想像いたします。
    宮下さんと同じく、
    皆さん、元以上に幸せをと心より願い込めております。

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  2. 仙石線のウグイス色の電車、屋根上の通風器とあわせて独特の魅力があります。
    kondouraさんも行かれたのですね。塩釜のあたりのごちゃごちゃ感、まるで異国の鉄道のようでした。この辺りも今後アップしていきたいと思います。
    何が自分にできるわけでもないのですが、被災地の方に笑顔が戻りますように願っております。

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  3. chitetsuさん、はじめまして。
    75年から78年までの高校時代、仙石線で本塩釜から仙台に通学しており、懐かしく拝見しました。写真の区間も、中学時代に石巻線のC11を撮影に行くためにずいぶん乗ったところです。数年前、帰省のついでに石巻まで乗車したところ、鳴瀬川の鉄橋は場所を移動してコンクリート製に架け替えられていました。津波対策のためというように聞いたのですが…。
    被災地の復興と、運転再開の日が早く来ることを願っています。

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  4. タチカワさん、はじめまして。
    76年から78年・・おそらくタチカワさんと私は同級生では?
    ちょうど、76年から78年の高校生の間に三回、上野発の夜行列車・・で早朝の仙台着でそのまま陸前原ノ町の駅へ。
    そこで次々と上ってくる仙石線電車を迎え撃ちました。相当な混雑な電車も見ましたが、もしかしたらその中にタチカワさんが乗っていたかもしれませんね。
    塩釜には会社の先輩で定年前の約8年間仙台勤務で塩釜の地を気に入って、そのまま住人になった人が居ました。その先輩も波に呑まれてしまいました。
    色々と縁のある仙石線。全線復旧と沿線の復興を祈念しております。

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