2023年5月19日金曜日

山形交通三山線回顧 前編

 山形交通三山線が廃止になてからもうじき50年になります。

三山線は出羽三山への参詣客の輸送や、鉱山物資の運搬を目的に、1926(大正15)年12月に三山電気鉄道として、当時の鉄道省左沢線羽前高松駅と海味(かいしゅう)駅の間8.8kmで営業を開始しています。その後1928(昭和3)年)9月に間沢駅まで延長し営業距離は11.4kmになっています。開業後の経営は比較的順調で、地域の通勤・通学客と共に出羽三山の参詣者も非常に多かったそうで、鶴岡までの延伸という話まで出ていたそうです。

1943(昭和18)年10月1日には戦時統合により三山電気鉄道は、以前紹介しました高畠鉄道(高畠線)、尾花沢鉄道(尾花沢線)および山形県内陸地域の各バス会社を合併します。その時に同社は存続会社となり山形交通に社名を変更して、同社の三山線となっています。

戦後の推移はどこの鉄道でも同じで、1950年代に輸送のピークを迎えるものの、相次ぐ鉱山の閉山や1960年代以降のモータリゼーションの進行により業績が悪化し、1974(昭和49)年11月18日に全線を廃止しています。

網谷忠雄氏所蔵・禁転載

山形交通三山線は左沢線の羽前高松というローカル線のごく普通の駅を基点にして、月山の麓の間沢までの路線でした。写真はその起点の羽前高松駅構内でのスナップで、右手に曲がってゆくのが三山線の本線。左手には左沢線が走っている。留置されている電車は西武鉄道からやって来たクハ11とモハ105。


起点の羽前高松駅は電車が分岐するとは思えないような立地の駅で、ごく普通の地方ローカル線の駅にしか見えなかったです。


開業時の木造単車モハ103が旧睦合駅からほど近い月山の酒蔵資料館の屋外に静態保存されています。同資料館内には三山線の資料コーナーが設けられており、当時の写真や資料等が展示されており、無料にて見学が可能となっています。屋外展示であった同車は傷みが激しく一部屋根が落ちてしまう状況でしたが、現在修復プロジェクトが行われています。 

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