盛岡に出張するのは金曜日。会議後は必ず宿泊して同僚と飲み会をするのが恒例でした。
明けて翌日は自由時間です。
帰り道はさまざまなルートで写真を撮りながら帰るのが楽しみでした。
その中でも一番多く立ち寄ったのは花輪線でした。
当時の花輪線は勾配区間対応でキハ58とキハ52の100番台が運用されておりました。
塗装は白ベースの赤帯の所謂盛岡色でしたが、2001年から忽然と国鉄色が復刻、キハ58形は6輌、キハ52形は2輌が塗り戻されました。
編成組成はその時々で変わり、盛岡色との混色編成が一般的でした。
キハ58形は輌数が多いので国鉄色同士のきれいな編成は割と見かけたのですが、キハ52形は大抵盛岡色のキハ58形と編成を組んでおり、往年の急行色+一般色の2両編成はなかなか出会えませんでした。
2002年になり東京に戻ることが決まるまでその機会は現れませんでした。
もちろん、それまでに何回か編成は組まれていたのですが、都合が合いませんでした。
そんな中、何とかなりそうな日に編成が組まれましたので、これが最後のチャンスと思い、何をおいても追いかけた日の記録をご覧ください。
なお、写真の順番は追いかけ順ではございません。
02.5.17 八幡平ー陸中大里 |
充当列車の運用は公開されていましたので、あとはどこで待つかだけです。
そして念願のキハ52と58国鉄色の列車がやってきました。
今となってはいすみ鉄道で見られる光景ですが、当時はよもやこのようなカラーリングが再現されるとは思わず、大興奮でありました。
02.5.17 沢尻ー十二所 |
こちらは十二所付近のお気に入り俯瞰ポイントを行く大館ゆき列車。
02.5.17 柴平 |
この車輌が充当されたときは良く追いかけまわしました。
この日もやってきてくれました。
これが最後の出会いと思ってパチリ。
02.5,17 末広ー沢尻 |
こちらは異色の存在の秋田車の列車です。
これは鹿角地区と県都・秋田を結ぶための列車で、以前は急行列車でしたがこの当時は快速列車となっていました。
リクライニングシート装備の快適な車輌で、鹿角花輪に滞泊して朝秋田を目指します。そして夕方秋田から鹿角花輪にやって来るという一往復の運用でした。
鹿角地方は秋田県ながら、県庁所在地の秋田遠く、地元の方は盛岡を見て生活をしていると地元の方からきいたことがありますが、この快速列車の所要時間を見ると納得がゆきます。
2 件のコメント:
青森暮しは電車好きには少し寂しい所かな?とあの当時は勝手に推察してましたが、ローカル線も追っていたなら退屈はしなかったでしょうね。花輪線といえば蒸機しか目が向きませんでしたが今改めて見ると国鉄色DCは田園風景によく馴染むな、と感じるのは単なるノスタルジーでしょうか。
き さん
8620が走っていた頃の花輪線を知らない身としては、気動車の風景がデフォルトであります。
花輪線沿線は美しい自然が結構残っているので、国鉄色とのマッチングも良かったと思います。
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