20.6.8 飯田橋 |
以前は貨物駅があり、さらにもう少し前は客車区もあって、中央線車内から茶色い客車が見えたものです。
その飯田橋駅の今昔です。
飯田橋駅は急カーブのホームで、このように隙間が大きくちょっと危ない駅として有名です。
以前はこのように結構電車と隙間のある駅は存在しましたが、バリアフリーが大きく叫ばれる今時に都心でこれだけ隙間がある駅はないでしょう。
車輌とホームの間にすっぽり人が入ってしまいまう隙間が存在します。
事実これより狭い渋谷駅でも同僚がすっぽり落ちたのを救ったことがあります。
これを解消するためにホームを市ヶ谷方に延長して大きな隙間を解消する工事をしています。
ホームから見てもかなり出来上がってきているのがわかります。
86.8.24 飯田橋 |
飯田橋駅は乗客にとってもちょっと危ない駅ですが、電車にとってもちょっと危ない駅でした。飯田橋駅構内の快速線からはカーブポイントでさらにその内側に飯田町駅にゆく貨物線が分岐していました。
このカーブポイントでは過去脱線事故が発生しており、それ以来徐行速度が変更されています。
86.8.24 飯田橋 |
こちらはその飯田町駅から出てきた紙輸送用貨物列車。左手の下り本線とクロスするポイントを見てもなんとなく危なっかしい。
頻度が低ければまだ良いのでしょうが、2分に1本とか電車がやって来る時間もある場所としては解消したいポイントであったと思います。
20.6.8 飯田橋 |
貨物列車も消え、飯田町駅は廃止となり今は再開発されて大きなビルが建っています。
当然ながらポイントは撤去されただのカーブとなっています。
でも、相変わらず電車はここではスピードを落とします。
このホームの水道橋方は早晩立ち入りできなくなると思い立ち訪問したわけです。
86.8.24 飯田橋 |
機関車の後ろには引き上げ線がありました。
20.6.8 飯田橋 |
背景の空はずいぶん減ってしまいました。
ホームドアのない駅は広々しています。
あと少しで、この急カーブ駅とがっしりとした上屋もお役御免になるのでしょう。
今でないと撮れなくなりそうな気がして立ち寄った飯田橋駅の今昔でした。
18 件のコメント:
かつての客貨車区、紙センター、相鉄の砂利ホッパー、すべて昔話になりました。小さい蒸機(大人になってからB6とわかった)が入換えしていたのを覚えています。JR貨物は本社ビルの中まで線路を引込みたかったのではないかな。
モハメイドペーパーさん
飯田町駅付近はすっかり変わってしまいましたね。
JR貨物が線路欲しくても、脱線しそうだからと東から嫌がられそうですね。
昔の飯田橋(飯田町)はなかなか鬼線路でしたね。内方分岐とカーブ同士のクロスは、用もないのに下車して恐る恐る通り過ぎる電車を眺めたものです。水道橋寄りの客車留置線も気になりました。
そのころはB6ではなくDD13が入換やってましたね。
72系電車全盛の時点で、既に東京で最も危険なホームと言われていた飯田橋駅。わざわざ急曲線にホームを設置してその後も構わず延長していったのか、後から考えるとちょっと不思議です。昭和初期の鉄道事業者の感覚だと、17m車なら隙間はまだ許容範囲内?だったんでしょうか?(笑)。
最近の建て替え駅は壁や屋根ばかりの地下鉄の駅みたいな造りが多くて、昼間から薄暗く息が詰まりそうになりますが、飯田橋駅の新ホームは外堀が目の前だそうなので見晴らしは良さそうですね。
Cedarさん
飯田橋の線路はCedarさん好みな感じですね。
電車に乗っていてもポイント通過時は微妙な揺れ方していましたね。
模型なら脱線・通電不良になりそうなポイントですね。
midorinoneko さん
あのカーブでホーム造ればああなることは予想できますね。
これまで大きな事故にならなかったのが不思議なぐらいですね。
おっしゃるように最近は駅をいじるたびに暗い圧迫空間が多くなるのが嫌ですね。
御茶ノ水駅も随分と窮屈になった気がします。
関西人の私の思い出は
80年頃に飯田橋駅を通過した際に
貨物ヤードに旧型電機がいた事です。
EF15かもしれません。
関西では旧型電機はとっくに消えていたので
びっくりした記憶があります。
今から約40年前、通学で飯田橋駅を使っていました。
当時、15:00頃に貨物のダイヤが設定されていて、
EF13やらEF15牽引の紙列車が来たのを覚えています。
そのダイヤは、
飯田町発着の上下列車がすれ違うようになっていました。
恐らく、中央線列車への影響を最小限にするための
設定ではないかと思います。
にぶろくさん
EF15の多くは関東エリアでの活躍でしたね。
当時は山手貨物線をばんばん走っていました。
匿名さん
そういえば、15時前後に二本の列車が入れ替わるようにやって来ましたね。
飯田橋駅付近で何回か眺めました。
飯田橋駅のホームが急曲線上にあるのは、かつて飯田橋駅の西側(市ヶ谷より)に「牛込」という駅があり、中央線が東京駅に乗り入れるようになったときに、駅間距離が短かった、牛込駅とそれまでの始発駅だった飯田町駅を統合して両駅の間に今の飯田橋駅が作られ、ルートから外れた飯田町駅は貨物専用になったという経緯があったそうで、飯田橋駅ホームの急曲線はその「駅統合の結果の産物」であり、駅の西口、神楽坂下方面への恐ろしく長い通路は、廃駅になった牛込駅の利用者の便宜を図るために作られた、という話を昔見たことがありました。牛込駅があった辺りには、外堀に面して江戸城の「牛込見附」があって、その痕跡が今も残っている、ということを、以前NHKの「森田一義氏」(本名)の番組で見たことがありました。
伊豆之国 さん
飯田町駅は甲武鉄道開業時のターミナルとして機能してから、おっしゃるように牛込駅と統合して飯田橋駅となっています。
飯田町駅は統合後も両国駅のように長距離列車の始発駅として昭和8年まで機能していたようです。
地元民から一言。私が初めて見た(記憶に残っている)ロコは飯田町機関庫のB6でした。
1904(M37)年8月1日に飯田町~中野間の電車運転が開始された時に電車線の駅は別に作られました。ここから御茶ノ水→万世橋→東京駅へと延伸されたわけですが,1928(S3)年の中央本線複々線化に伴い牛込駅が廃止され飯田橋駅を新設,電車線の飯田町駅も廃止されたのです。「古レール JR 東日本中央本線【飯田橋駅】」で検索すると電車線の飯田町駅の平面図が見られますよ。
ちなみに昭和30年代半ば頃までは,牛込駅の遺構と思しきものがあったのを憶えています。
現在のホーム部分や上屋は、取り壊しになるのでしょうか?
東西線への乗り換え利便のために通路として残す予定はないんですかね?
Tadさん
飯田橋駅界隈は想像以上に改編が続いているのですね。
古レールサイト見ました。
往時はホームも直線だったのですね。
ありがとうございました。
匿名さん
確かに東西線からの乗り換え口は残るはずですから、新ホームまでのアプローチ部分は何かしらの形で残るのでしょうね。
どのような形になるのか、先日訪問時も気になりました。
新しい駅舎の供用開始日と、現ホームの通路化について
JR東日本からの公式なアナウンスが出ましたね。
今のホームは柵を取り付けて通路化するようです。
東口側のホームへの階段は水道橋側が閉鎖になるようです。
chitetsuさんの言う通り、水道橋側のホーム端まで行けるのは
7月11日までのようです。
匿名さん
書き込みありがとうございます。
具体的な日も決まったのですね。
旧ホームは通路で残るのも納得ですね。
コメントを投稿